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未来を拓くため過去の後悔と向き合う「あずけて!時間銀行」

あずけて! 時間銀行  ご利用は計画的に (角川スニーカー文庫)あずけて! 時間銀行 ご利用は計画的に (角川スニーカー文庫)
(2009/10/01)
いとう のぶき

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あずけて! 時間銀行  ご返済はお早めに (角川スニーカー文庫)あずけて! 時間銀行 ご返済はお早めに (角川スニーカー文庫)
(2010/02/27)
いとう のぶき

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あずけて!時間銀行を読んだ。面白かった。

舞台は人間に残された残りの寿命を、あたかも金銭のように取り扱える銀行を舞台にしたSF小説。
時間の定期預金や、一時的に時間を借り入れられるキャッシングシステム、そしてそれをやりとりするデイスペンサーなどなど、本当に時間の概念をそのまま銀行業務に割り当てたような世界観。

だが物語は単純な時間管理業だけでは終わらない。

主人公の往事洋斗は、普段は面倒くさがりのグータラだめ人間だが、妹のこととなると奮起しすべてを投げ打つ覚悟を見せるシスコン兄貴。

そんな洋斗が、時間銀行の時間回収業務という危険な仕事に従事するようになった。
なぜ彼は時間回収業務を行うようになったのか。彼の目的はなんなのか……

と煽ってみたところで、洋斗のシスコンぶりは第一章でいかんなく描写されているため、まあ彼の目的や行動理由はなんとなく察せられる。
だがそこに至るまでの理由が泣かせるし、また最後のエピローグもエッジが利いてるから、物語を楽しむのに不都合はないだろう。

この物語は時間を取り戻す物語だ。
人は己が生きてきたなかで、様々な行動を起こし、そして後悔する。
それがほんの一時の失敗ですむならいいが、ときにはその人の人生そのものを腐らせてしまいかねないほどの毒をもつ。
主人公たちの仕事は、そんな後悔を重ねすぎて、心のしこりがずっと残り続けてしまった人たちの「毒」を取り除くことだ。

ある人は「あのとき、あと五分早く家を出ていれば」と後悔する。
ある人は長年連れ添った妻に対して「自分と結婚して本当に後悔してないのか」と疑い続ける。
またある人は、幼少期における父の姿がトラウマとなってしまっている。

そんな人々の「毒」を解消し、後悔することで無為に消費された時間を取り戻す主人公たち。

そこで彼らは知るのだ。過去を変えることはできないし、己が下した判断を覆すことなんてできない。
だが「あのときこうすればよかった」という後悔はずっとその人の記憶にこびりつき、人生を後悔のまま過ごさせてしまう毒薬そのものであるが、それでも、過去の記憶という夢の世界のなかだけでもその後悔を取り除いてあげるだけで、人々は救われるのだと。
だからこそ主人公たちは過去に捕らわれた人々のために奔走し続ける。

これは過去の後悔に捕らわれて現在を生きられなくなった人たちを、もう一度未来へと目を向けさせてあげるきっかけを作る人々を描いた、ヒューマンSFドラマなのだ。
未来を生きるために、現在と過去の因果を断ち切る。
そんなキーワードに熱いパトスを感じてしまった方はぜひ手にとってみてください。

人類最大のミステリーに挑む「銃・病原菌・鉄」



6月16日(日)に参加したおいでませ!5における合同誌「FLAVOR」がとらのあな様にて委託を開始しております。
どうぞよろしくお願いします〜。





文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
(2012/02/02)
ジャレド・ダイアモンド

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文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
(2012/02/02)
ジャレド・ダイアモンド

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ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読んだ。面白かった。

圧倒的である。
これは紛うことなき傑作だ。
1998年のピュリッツァー賞ノンフィクション部門を受賞し、
さらには2000年から2010年に発行された著作の中から50冊の本を選ぶ「ゼロ年代の50冊」という企画においては、見事ベスト1を受賞したというのもむべなるかな、という感慨を抱く。

著者がニューギニアに滞在中、現地の友人ヤリから素朴な疑問を投げかけられることから本書は始まる。

「世界は白人が様々な物資を持ち、富を持っているが、我々はそれを持っていない。このような格差はなぜ生じてしまったのだろうか?」

この疑問に対して著者は明確に即答できなかったという。
もちろん、直接的な要因ならばすぐに答えられただろう。
文字や印刷技術、機械工作技術の定着。
徹底的に論理を追求し、真理を探究する哲学体系の確立。
論理思考によりもたらされた、発明を受け入れる社会土壌。
強大な権力を持つ中央集権的政治体制の樹立。
何千キロもの旅を可能にする高度な航海技術。

だがいずれもヤリの疑問に完全に答えられるものではない。
なぜヨーロッパでは文字や機械工作が発明されたのか?
ぞれがニューギニアやオーストラリアで発明されなかったのはなぜか?
白人がオーストラリア大陸に来たとき、彼らはなぜ先住民を駆逐できたのか?
先住民が彼ら侵略者を撃退できなかったのはなぜか?
人数で圧倒的に勝っていた先住民がなぜ少数のポルトガル人侵略者を撃退できなかったのか?
逆に、先住民が航海技術を身につけ、ヨーロッパ大陸を支配するような歴史にならなかったのはなぜか?
支配するものとされるものとの間に存在する決定的な違いと、それを生んだ究極の要因とは何か?

それら数々のミステリーに、本書は膨大な事実を挙げながら、次々と、明瞭に答えを導き出していく。
そこに差別主義的思考の入る余地などなく、極めて論理的に議論は進められていく。
その様はまさに圧巻という他なく、その簡潔で隙のない、鮮やかな説明にはある種の快感すら抱いてしまうほどだ。

ある時は地球を宇宙から俯瞰してそれぞれの大陸の地理的特徴を論じ、またある時は時間を数千年、数万年レベルで飛び越えて、そうかと思えば人間の遺伝子や免疫構造をミクロの視点から分析する。
そうして徹底的に人類文化の形成の謎を追い、解きほぐし、そして解明へとつないでいくのだ。

知的生命体の反映描いた傑作といえばアーサー・クラークの幼年期の終わりや、小川一水の導きの星などがある。
本書は特に後者の小説を好む人にはぜひにお勧めしたい。
文化というものが発達していく究極の要因と、そこから直接的要因へと繋がる鎖の構造まで余すことなく解明してくれる。
これは間違いなく今年のベストノンフィクションだ。
オススメ。

魔人同士の忍術合戦 山田風太郎「くノ一忍法帖」

くノ一忍法帖  山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)くノ一忍法帖 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
(2012/09/25)
山田 風太郎

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山田風太郎の「くのいち忍法帖」を読んだ。面白かった。

今更山田風太郎という作者のことを説明することはないと思うけど、
マンガ好きの人たちの間でもっとも有名な作品といえば
「バジリスク」の原作でもある「甲賀忍法帖」だろう。
この甲賀忍法帖とは、伊賀と甲賀の忍者たちが魔技を駆使しながら死闘を繰り広げるという
極上のエンターテイメント作品だ。
甲賀忍法帖では伊賀・甲賀それぞれ10人の忍者が互いを殺し合うストーリーだったが、
このくのいち忍法帖では、信濃の女忍者と伊賀の忍者による殺し合いが展開される。

大阪城を攻め滅ぼした徳川家康。
炎上する大阪城からからくも救出した千姫の安全を
家康は心から喜んだが、しかし千姫はすでに心の底から豊臣家の人間となっていた。
そして豊臣を滅ぼした家康を心から憎んだ千姫は、
秀頼の血をこの世に残すため真田が考案した秘策に己の運命を委ねる。

その秘策とは、真田の女忍者5人に秀頼の子を孕ませ、豊臣家の血を残すこと。

千姫自身が秀頼の子を宿してしまえば千姫自身を殺めかねないと判断し、
側室として侍らせた女忍者に種を宿させた真田の目論見。
かくして家康は豊臣の血をこの世から抹消するために
魔人とでも呼ぶべき伊賀の忍者5人を呼び寄せ、彼らに女忍者の抹殺を命ずる。
かくして、人智を超越した忍術を操る魔獣たちの、血で血を洗う抗争が始まる……。

この小説のタイトルにもあるとおり、主人公はくのいちであり、
くのいちを擁護し保護している千姫たち一行である。
そして彼女らとその腹に宿した胎児の命を狙わんと画策するのは、
他でもない、豊臣家を滅ぼし、千姫の実の祖父である家康である。
そう、これは千姫と家康の戦いであり、くのいちと忍者の戦いでもあり、
さらに端的に言ってしまえば男と女の戦いなのだ。

男と女と一言で言ってしまえど、彼らの胸中で輝くのは括弧とした覚悟である。
そこにあるのは男の支配欲であり、亡き主君や夫への忠心であり、そして女としての矜恃と意地なのだ。
恐るべき忍術を前に屈することがあろうとも、
ただでは死なず一矢報いて相手をも道連れにしていく最後の覚悟は、
ことごとくが凄惨であり、それでありながら強靱な美しさを秘めている。
次々と披露される怪術とでも呼ぶべき忍術の数々は、いずれも凄絶の一語に尽きる。
そしてそれらを駆使しながら、「このような術をどのようにして破り、相手を屠るのか」と
期待と不安を抱かせ、そして痛ましい場面を連想させながらも次々とページをめくらずにいられない
物語展開は本当に見事だ。

そして繰り返された死闘の果てで、家康と千姫はどちらの想いが強かったのか、
どちらの意地がまかり通ったのかを思い知ることになる。
かたや冷血に徳川の繁栄のみを求め、豊臣を根絶やしにすることだけを病的に求め続けた老人。
かたや愛する夫を誅殺され、復讐に燃えるうら若き乙女。
二人の想念がぶつかり合うのは、本当に最後の最後の一ページだ。
くのいち忍法帖という長編小説の最後を締めくくるに相応しい、恐るべき一ページとラストの一行が
読者の心の中でいんいんと響き続ける。

数十年前に刊行されたとは思えぬ素晴らしい力作。
これこそエンターテイメントの本質であり、超人同士のバトル小説のはしりとでも呼ぶべき作品だ。
おすすめ。

安倍晋三氏の政治信条がこの一冊に凝縮「美しい国へ」

美しい国へ (文春新書)美しい国へ (文春新書)
(2006/07)
安倍 晋三

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安倍晋三の「美しい国へ」を読んだ。面白かった。

本書は安倍氏が内閣総理大臣に就任した2006年に出版された、
自身の政治信条を綴った筆者初の単著。
このなかで語られているのは、政治家安倍晋三の原点であり、
政治家としての信条と思想であり、
そして絶対に解決せねばならないと強く心に刻んでいる各種問題への熱い想いなのだ。
例えばそれは日本人の自虐的歴史観であったり、
教育問題であったり、超高齢化社会へひた走る日本の未来であったりする。
安倍氏はそれら諸問題についてひたすら誠実に受け止め、ひとつひとつ丁寧に解説し、
これを解決せねばならない、と非常に分かりやすく精細な筆致で語っている。

特に圧巻だったのは、日本がイラクへ自衛隊を派遣する際に問題となったのが、
日本が軍国主義へと生まれ変わり、他国侵略の手段として自衛隊を利用するのでは無いか、
という内外からの批判だ。
これはまったくの誤りだと言って良いだろう。
実際これまで日本は他国侵略をしたことがあるか?それをほのめかしたことがあるか?
自衛隊の現地での活動はどうだったか。それは本当に侵略だったのか。
現地での活動は、現地民に非常に感謝され、別れを惜しむ現地民すらいたことは有名な話だ。
それをもって、安倍氏は本書の中でこう語っている。

"日本が軍国主義に走るなどと馬鹿げた報道だ。
 世界中が見ている。
 日本人自身が作り上げたこの国の態度について我々は堂々と胸を張るべきである。"

まさしくその通りだ。
日本人はこれまで他者を排斥したことなどない。
日本という国が暴走し、他国を蹂躙・占領していたのはすでに100年前の話であり、
戦後70年間、一度とてそのような態度を日本という国家が見せたことは一度もないではないか。

我々はもっと胸を張るべきなのだ。
近隣のアジア、いや韓国・北朝鮮・中国の三カ国からは日本の歴史観について
非常に厳しい、というよりも穿った感性でもって日本を攻撃してくるが、
その他の国からの日本への評価を見てみれば良い。
いずれも日本の態度について賞賛こそすれども、軍国主義などと批判する国など皆無である。
そのことをはっきりと明言し、そして改めてそれを事実として認識させてくれた安倍氏には感謝しても仕切れない。

本書は、日本人として生まれたことに感謝できる本だ。
読了後にこれほど清々しい気分にしてくれた書というと、
浅田次郎の「五郎治殿御始末」がある。
これは江戸という封建社会から明治という自由社会へ変わったとき、
これまで自身が生きてきた時代と文化を、
「古く非効率なもの」と断ぜられ無理やり新しい文化へと変遷させられた、
その当時を生きる人々の粋を描いた名著だが、
この安倍氏の「美しい国へ」という本は浅田次郎氏の書にも並ぶ、
日本という国への愛着と帰属意識を育ててくれる素晴らしい書であったことをお伝えしたい。

非常に素晴らしい一冊でございました。おすすめ。

80万年という時を越えて何を見るか「タイムマシン」

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)タイムマシン (光文社古典新訳文庫)
(2012/04/12)
ハーバート・ジョージ ウェルズ

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ウェルズのタイムマシンを読んだ。面白かった。

時代は19世紀末、とある発明家であり科学者でもある人物の家に数人の知識人が集まり、
彼の説明を「私」が聞くところから物語は始まります。
その中で、すでに「私」は発明家のことを「タイムトラヴェラー」と呼んでおり、
彼こそが本書の主人公であることを読者に示してくれます。

序盤こそ様々な時間移動に関する物理的解釈に費やされ
少々退屈な(しかし理系のオイラにとっては刺激的な)会話が繰り広げられますが、
本当の物語はその次、新聞記者や医者を一堂に会したうえで展開される、
未来を旅した冒険譚の語り口なのです。

タイムトラヴェラーが旅をしてきたのは、80万年後の地球。
そこには人類の叡智などとうに枯れ果て、
ただ大自然たる河川が流れ、緑が生い茂り、
そのなかで人類の子孫であるイーロイ人が暮らしている世界があるだけなのです。
そこにはかつての栄華や叡智も何も無く、叡智の根源であったはずの好奇心すら薄っぺらで、
ただその日その日を面白おかしく過ごし、牧歌的に過ごすことさえできれば
それだけで満足してしまうような人類の子孫の姿に、
タイムトラヴェラーは少なからない絶望を抱いてしまいます。

しかし、それだけで話が終わらないのが本作。
ただ人類の子孫の在り方に絶望するだけで無く、
実はその牧歌的な生活こそが人類の行く末、
すなわち人類がかつて築き上げた経済的格差社会を根源とする
人類という生命体の進化の行く末そのものだったのです。
悲観的というにはあまりにも残酷なその進化の有り様に、
そしてこのような想像の翼を広げて
ひとつの作品に仕立て上げてしまうウェルズという作者の力量に
ただただ感服すると同時に、畏怖の念すら感じてしまいます。

そして彼が次々と旅をしていくのは、
ただ人類という一生命種の行く末を見守るだけでなく、
地球という惑星の在り方と未来の有り様を見つめる旅にまで発展します。
そこで彼が何を見て、何を感じ、何を得て返ってきたのかは、
ぜひ皆さんが本書を読んで、感じ取ってください。
彼が感じた絶望や失望、望郷や郷愁を、本書を通じて汲み取ることができるでしょう。

いやはや、本書は凄まじい一冊でございました。
タイムマシンといえばタイムパラドックスをテーマとした物語構造がお約束ですが、
まさか生命体や惑星の在り方にまで言及し、
恐るべき科学考証でそれらの姿をつまびらかにしてしまう作品が
100年以上前にすでに実在していた現実に戦慄を感じてしまいます。

単純なタイムパラドックス物では無く、
人類、惑星、進化の全てについて想いを馳せてみたい想像力豊かな読者諸賢は
ぜひぜひ本書を手にとっていただきたいと思います。
おすすめ。

人の死を見るという好奇心に突き動かされた少女たち「少女」

少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)
(2009/01/23)
湊 かなえ

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湊かなえの少女を読んだ。面白かった。

湊かなえというと、僕が読んだことがあるのは
本屋大賞を受賞し、映画化もされた「告白」くらいしかなかったのだけど、
告白は非常に洗煉された素晴らしいミステリーだったため
この少女も発売された直後に即効で作家買いしたにも関わらず
3年以上ずっと本棚の肥やしにしていたのをこの度ようやく読了した次第。

主人公は由紀と敦子。高校二年生。
二人は人の死ぬところを見てみたいと、夏休みを利用してそれぞれ別々の行動を取る。
由紀は入院患者向けの童話の読み聞かせボランティアに、
そして敦子は老人ホームのボランティアに参加する。

その中で様々な経験をする二人は、数多くの偶然に翻弄されながらも
多くの人の優しさや温もりに触れて、貴重な経験を経て大きく成長していく。

そう、この小説の神髄は青春小説なのだ。
ミステリーとしての出来映えもさることながら、
高校生特有の悩みを生々しく精緻な筆致で描かれている。
そして夏休みの僅かな、しかし貴重な体験を経た二人が、
クライマックスでどのような顛末を迎えるのか、是非ご覧いただきたい。

告白のような衝撃的なミステリーを期待して読んでしまうと肩すかしを食らうかもしれない。
しかし前作にも見られた独特の読後感は本作でも健在だし、
告白を気に入った方は是非本作にも手を伸ばしていただきたい、
そう思える一冊でございました。

それは一人の女性が繋いでいく奇跡の物語「詩羽のいる街」

詩羽のいる街 (角川文庫)詩羽のいる街 (角川文庫)
(2011/11/25)
山本 弘

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山本弘の詩羽のいる街を読んだ。面白かった。

これは、奇跡の物語だ。
作中ではヒロインの詩羽は
「自分がやっていることは論理的な行動に過ぎない」と述べているが、
これは間違いなく奇跡の物語であり、
彼女にしか為し得ない素晴らしい行動と結果の物語なのだ。

ある日新作の執筆に悩むマンガ家志望の青年は、
己のマンガをどのように書くべきか悩んでいた。
担当編集を納得させ、
自分を殺してでも"売れるマンガ"を目指すことこそが正しい道なのか、
それとも己の描きたい物こそ書き続けていくことがあるべき姿なのかを悩んでいた。
悶々としたものを抱えたまま、スケッチをとるため気まぐれに立ち寄った公園のなかで、
青年はある不思議な光景を目にする。

5人の小学生たちが購入したカードの交換会をしている。
だが子供たちが欲しいカード、
あるいはいらないカードというのはそれぞれが全く異なる。
1対1だけでの交換だけでは皆が望むカードを入手することはできそうにない。
そこで活躍するのが詩羽だ。
彼女は子供たちのいらないカード、欲しいカードをすべて把握し、
また交換するならどのカード何枚分とであれば交換に応じるという
特殊カードの交換条件についても理解し、
1対1での交換だけでなく、三角関係でのカード交換、
あるいは四角や遂には五角関係でのカード交換まで成立して見せ、
そこにいた子供たち全員を納得させるカード交換会を実現してみせたのだ。

カード交換に満足した子供たちは、
やがて青年のもとへやってきて「カードのイラストを描いて欲しい」とせがむ。
望まれるまま幾枚かのイラストを描いてあげたところで、
詩羽が青年に近づき、そして告げる。
「ねえ、私とデートしない?」
ここから、詩羽という女性によって紡がれる奇跡の物語が始まる。

詩羽は言う。
「良い人はみんな幸せにならなければならない」と。
「善良なのに不幸なのは納得がいかない」と。
だから詩羽は自分の力によって不幸になってしまってる人に手を差し伸べ、告げるのだ。
「デートをしよう」と。
そして「私があなたを助けてあげる」と。
人々は決して彼女自身の力によって救われるわけではない。
彼女は手を差し伸べ、機会を用意してやるだけだ。
彼女はただ、一歩を踏み出すことのできない人々の背中を押してやって、
人と人との繋がりをエスコートしてあげているだけなのだ。

しかし、たったそれだけのことができない人がどれだけ多いことか。
そしてそれを演出してもらえるだけで、
一歩を踏み出す勇気を得て、己の才能を開花させ、
幸福というかけがえのない財産を得られる人の何と多いことか。

詩羽はあくまで論理的に動いたに過ぎないという。
実際に行動したのはその人自身だし、
私はその後押しをしてあげたに過ぎないという。
だが彼女と関わった人々はそのように考えたりはしない。

自分たちは詩羽によって救われたのだと。
詩羽と出会うことによって変わることができたのだと。
詩羽が導いてくれなければ、今でも自分は狭い部屋、
狭い世界の中で悶々としていたに違いない、と。
詩羽に導かれた人々は異口同音に告げることだろう。

才能や技術、仕事を必要とする人。
そして、それを提供できる能力を持ち合わせている人。
だがこの二人を結びつけるものはなにもない。
どちらか一方が新聞などに求人や広告をうてば解決できることかもしれないが、
個人レベルではそこまでの労力とコストをかけてまで行動しようという人はいない。

だが詩羽は違う。
彼らは"互いを知らない"という最も簡単で、
しかしもっとも越えることが難しいハードルを前に諦めていた彼らを、
詩羽は華麗に、見事に人と人とを結び、繋げ、かつ新しい価値を創出していく。
それが積み重なって、人々を救い、街を救い、皆が幸福になっていく中で、
詩羽はぽつりと呟くのだ。
たったひとつ。たったひとつだけ辛いと思えることを。
そのことは決して作品全体を貫くテーマにはなっていないし、
詩羽自身も深刻に受け止めているわけではない。
だが詩羽自身が抱えるその悩みもひっくるめて、
彼女自身が幸福を掴める日が来るのだと、その幸せをこの街でこそ掴んで欲しいと、
そう願わずにいられなく読後感を味わわせてくれた。

この本は本当に素晴らしい良書でありました。
2012年に出会えた本の中で最高の作品だ。
本当におすすめです。是非ご一読を。

意識、言葉、生命とは何か「屍者の帝国」

屍者の帝国屍者の帝国
(2012/08/24)
伊藤 計劃、円城 塔 他

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屍者の帝国を読んだ。おもしろかった。
夭逝の天才・伊藤計画氏の絶筆を、同氏が遺したプロローグ部分とプロットを基に円城塔氏が執筆した大作。
本作は死んだ人間を、物言わぬ機械同然の屍者として再利用する技術が発展した世界の物語。
時代設定は19世紀末、国はロンドンから始まりアフガニスタン、アメリカと文字通り世界中を冒険する。
そしてなにより耳目を集めるのは、主人公があのシャーロック・ホームズの名助手ジョンワトソンであることだろう。
本作はホームズに出会う前のワトソンが、アフガン戦争でいかなる経験をしたのか、という仮定から想像を膨らませて出来上がった物語。

こう書くと、本作はあたかもホームズのブランド力を借りた三流SFをイメージしてしまうかもしれない。
しかし、それは誤りだ。
本作の裏に込められたら伊藤計画氏の思いや狙いは、そのような浅ましい邪推などでは決してないことに、読み終えた読者は気づかされるに違いない。

これは死と生の境界を根底から問い直す物語だ。
意識とはなにか、魂とはなにか、生きるとはどういうことなのか。自我とは何か、私とは誰なのか。私を認識する私は本当に私なのか。
屍者という技術が発展してしまったが故に、死と生の境界が曖昧となり、無限の問いを繰り返すワトソン。
遂に答えを得られなかった問いの果てで、ラストを飾るのはある人物の独白だ。

その、独白。
それはあまりにも鮮烈で、あまりにも純朴で、そしてあまりにも美しい独白だ。
この物語はこの独白のためにこそここまで紡がれたのだという思いを確信させてくれる、素晴らしい締め括りだった。

物語のなかに散りばめられたあらゆる伏線の上で成り立つラストの独白には、賛否両論あるかもしれない。
この独白によって解決される謎など何もないからだ。
しかしこの独白にこそ、ワトソンや彼が追い求めてきた冒険や行動への一つの答えが込められているのだ。

非常に素晴らしい小説でありました。
凄く分厚くて、長くて、読む人を選ぶ小説だけど、自我や意識への問いというワードに興味を持った方はぜひご一読を。

ここから物語は紡がれる「空想都市Recycle2」

空想都市Recycle2

空想都市Recycle2を読んだ。面白かった。

サークル空想都市の面々が描くオムニバス短編小説集の第四弾。
同サークルがこれまで刊行してきた同人誌は、
オリジナル短編小説を数編収録した無印シリーズ(既刊2冊刊行済み)と、
あるお題に沿って各サークルメンバーが短編を著すRecycleシリーズとがある。
そして去る夏コミC82で刊行された新刊が、このRecycle2である。

この作品集を読み終えた今、僕はただ圧倒されている。
ここに収録されているのは、創作活動という情熱の塊なのだ。
すべての作品が挑戦的で、意欲的で、「俺の作品こそが一番面白い」という
傲慢にも似た自信と意志に漲っている。
その熱意は強烈な闘志となって読むものをひたすらに蹴散らし、
油断していると作者のテンションにただただ流されていくだけとなる。
さながら急流とでも呼ぶべき物語の緩急は一時の暇を挟むこと無く
ごうごうと音を立てて流れていき、
あるところで、ぽん、と読者を突き放す。
それこそが本作のテーマ「大風呂敷」だ。

はっきり言おう、この同人誌を読み終えたところで救いなどどこにもない。
僕らに許されるのは、この物語を読み終えた読者に残されるのは、
更なる物語を求めんとする貪欲な欲求だけだ。
ストレスが溜まる。
もっと読ませろ、早く続きを読ませろと、己の中にある野獣のような欲望が、
牙をむき喉を唸らせてがむしゃらに物語を求め続ける。
しかしいくら物語を求め、欲求に身を任せようとも、
これらの結末を見ることは決して叶わない。
なぜなら、そもそもこれらの結末はまだこの世に生み出されていないからだ。
その絶望に身を浸し、一晩かけて現実を受け入れられるころになって、
ようやくこの文章を書くことが出来るようになった。

さて、ここに収録された作品はすべてが力作だ。
すべての作品がプロローグとして壮大な物語を予感させ、
すべての作品が更なる頂を目指そうとしていると感じられる。

そのなかにあって、それでも僕が感想を書かずにいられない作品が数作ある。
それをぜひここで紹介させていただきたい。

まずは八木山ひつじ氏の「グランドスラム・メタルジャム」。
一言で言ってしまえば、弱小スポーツチームが新しい監督を迎え入れて優勝を目指すスポ根サクセスストーリー。
特にこの弱小チームの面々が非常にキャラがたっていて、
それぞれの台詞や行動が非常にわかりやすい。
若干専門用語が多すぎて読む人を選んでしまいそうなきらいはあるが、
底に潜む新スポーツへの熱意が文章からぎんぎんと発散されていて、
スポーツに疎い自分でさえもその展開には手に汗握ってしまった。
彼らメンバーは最弱チームという汚名を被りながら
なぜいまだチームに属しているのか、
そして新監督はなぜこのような弱小チームに赴任してきたのか、
何よりこの新監督はあざとすぎるくらい狙い澄ました「美幼女」なのだが、
そんな彼女はいかなる想いで「優勝」の二文字を狙っているのか。
この辺を想像しだすと妄想が全然止まらない。
この作品はぜひ結末を読んでみたいのだが、早く続き出ませんかね?(チラッチラッ

続いて五月八日氏の「わたしのお姉ちゃんは天才である」。
全作品のなかでもっともライトノベルに近い文体で、
また各キャラクターの特徴や世界観が特に完成されていることが印象に残った。
技術考証では九里史生氏の「暗殺妖精リルクロイツェル」が頭一つ抜きんでているが、
その先、つまり物語を締めくくるための伏線や考証といった面では
本作こそより優れていると感じられる。
このようなドタバタSFラブコメディ的な物語は
フルメタル・パニック!を彷彿とさせるが、
この作品にはフルメタよりもさらに破天荒な物語構成へ昇華していただきたいと思えた。
全作品のなかで、もっとも続きを読みたいと思わせてくれたのも本作だったことを付け加えておきたい。

そして木倉俊文氏の「アルファ・ケンタウリからの手紙」。
これはやられた。
何という哀しい物語だろう。
あのアンドロイドの描写と、焼き付きのエピソードだけでこの物語は完成してしまっているではないか。
そこに至るまでの銀箔や大災害、グリッド線で表示される仮想三次元空間などは、
その精緻な描写と考証にも関わらず、ただの布石にすぎないことに驚かされる。
この物語の基盤とは何か。
それは、「孤独」だ。
たった二文字で表現されるこの言葉こそが、この物語全体に漂っている悲しさの正体だ。
まるで足元をひたひたとたゆたい続けるような、ほんのりと冷たい「孤独」。
その冷たさはいつまでも僕の魂の奥底を冷やし続けているようで、
読み終えた後もずっとずっと"手紙"のことが胸奥から離れなかった。
彼女は何を思っていたのか、いかなる想いでこの十数年を過ごしてきたのか。
本来であれば知るよしもなかった"優しさ"の意味や、"愛情"の温かさを胸に懐き、
そして、だからこそ知ってしまった"孤独"と"絶望"の冷たさを刻み込まれた彼女の心は、
死の間際でいかなる想いに満たされていたのか。
それを思うとあまりにもやるせなく、切なくなってしまう。
Recycle2のテーマは「大風呂敷」だが、この作品はそのなかにあって異色だ。
これは、これだけで完成された掌編なのだ。
もちろん、作者である木倉氏は更なる物語への展開を夢想しているのだろうが、
僕はこの作品に限って言えば、これはただこれだけで完成されており、
仮に続きが著されなかったとしてもひとつの作品として耐えられる傑作であることを確信している。
素晴らしい物語体験に感謝の意を表したい。

最後に、これを忘れてはならないだろう。
Lackey氏の「本のない国」。
これは別格である。
Recycle2に収録された作品群は、すべてが「続きを読みたい」と思わせてくれる力作であることに疑いの余地はない。
だが、この「本のない国」だけは別格なのだ。
これは続きを読みたいと思わせる作品などではない。
「続きを書きたい」と思わせてくれる作品だ。
恐ろしいほどの自由度の高さ。世界観、キャラクター、主題、すべてを曖昧に伏せたままで、
ただひとつだけ読者に与えられたヒント。
それは「人類の叡智を使って、異邦人による異文化の国を再興せよ」という途方もないテーマである。
なんと壮大なテーマだろう。
この単純明快でありながら深淵無限に至る主題は、僕ら物書きにとっては魅力的なことこのうえない。
駒野の最後の台詞で表せられた偉人の名前は、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、孔子、そして福沢諭吉。
いずれも人類史に名を残した偉大な賢人たちであるが、
ここで気になるのは、彼らがいずれも哲人であり思想家ではあるものの、
科学者ではないということだ。
つまり彼らの知識は国家や人間社会の礎を築くのには非常に有用な思想を与えてくれるが、
かたや生活基盤の充溢や新兵器の開発となると、彼らの知識だけでは心許ない。
この辺に駒野の知識の限界があり、それこそが物語における制約条件となってくるのだろう。
この制約条件を身に縛りながら、いかにエキサイティングな物語へ昇華させていくか。
物書きの本能を否応なしに刺激し、くすぐってくれる、素晴らしいプロローグではないか。
書きたい。この続きを自分こそが書いてみたい。
本来ならばあり得ない欲求を目覚めさせてくれる物語、それこそが本作「本のない国」だ。

いやはや、今回も本当に素晴らしい作品群でございました。
これほどの力作たちに出会えた幸運にひたすら感謝。

西洋哲学の歴史がこれ一冊に凝縮「反哲学入門」

反哲学入門 (新潮文庫)反哲学入門 (新潮文庫)
(2010/05/28)
木田 元

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木田元の「反哲学入門」を読んだ。面白かった。

タイトルに「反哲学」などと銘打っているため、
ただでさえ難解な哲学というジャンルにおいて、
さらに詳細に細分化された哲学の一ジャンルに関する書物かと思いきや、
中身は西洋哲学の歴史を紐解き、
ソクラテスからハイデガーにいたるまでの"真理"”存在”に関する探求の歴史を
非常に分かりやすくまとめられた珠玉の一冊だ。

本書では、哲学という分野がなぜ日本人にとって馴染みが薄く、
かつ非常に難解な学問であるかということを、
プラトンから始まる”超自然的原理”の考え方にあるという。

人間でもない、自然でもない、あらゆる真理や存在を見通し、
理屈では無く感情や本能で物事を理解・把握できるのは、
"イデア"という自然を超越した魂の根底の部分によるものであるとするプラトンの理論は、
その後キリスト教の教えと結びつくことで"神"という概念をより強固なものとし、
その後の西洋哲学に非常に強い影響を与えた。

しかしこの"イデア"による"超自然的原理"は西洋哲学独特の考え方であり、
日本はもとよりアジア諸国や中東諸国においてすら到底生まれえぬ概念だったし、
ゆえに西洋人以外の民族が西洋哲学を本当の意味で
理解することなどできない考え方だったのだ。

なぜなら日本人にとって、人間とは自然の一部として存在するものであり、
神もまたそれら自然のなかに溶け込み、息づいているものとしている。
だがキリスト教は違う。
聖書にもあるように、世界とは万能の神の手により構築されたものであり、
人間は神が自身の姿を似せて作ったものなのだ。
そのような宗教観をもつ西洋人が考えた哲学が、
まったく異なる宗教観をもつ日本人に理解できるはずなどないのだ。

例えばデカルトの「我思う、故に我有り」という有名な言葉があるが、
これは「自分の存在を疑い続けている自分」の存在は疑うべくもないとして、
これを出発点・第一原理として自己の存在を確立していった。
そのなかで「自分を自分たらしめる意識」こそ人格理性であり、
ここには「神の出張所」とでも言うべき、
神の後見を得た生得的観念を同時に持ち合わせている、としている。

このような「神の理性の後見」を廃したうえで「存在すること」を
定義してみせたのがカントの「純粋理性批判」だ。
カントは理性的認識の範囲を、純粋理性批判になかで理性そのものの
自己批判によって明らかにしようとした。
これをヘーゲルが弁証法を用いて拡張し、
このことにより人間社会全体に通ずる精神と、世界全体への超越論的主観を手に入れた。
超自然的原理による思考様式はここで完成されたとされている。

そこへ、ニーチェがプラトン以降の西洋哲学をニヒリズムと呼び、
ニヒリズムからの脱却を図り、プラト二ズムを批判した。
これまでの西洋哲学のわかりづらさは、
自然を超越した超自然的原理から観測することで発展してきたが、
しかし人間もまた自然の一部で有り、
超自然的立場など仮定したところで詮無いことであるとし、
超自然的原理を仮定せずとも成立する哲学を構築しなければ
これ以上の哲学の発展はない、
とニーチェは批判した。
木田氏自身、超自然的原理を必要としない哲学を、
それまでの西洋哲学と対極を成すという意味も込めて「反哲学」と呼び、
別の学問体系として区別した方が良い、と論じている。

哲学の歴史をこのように理解することで、
確かにデカルトやカントの「理性」の分かりづらさが理解できたような気がした。
「すべて道徳をそなえた人格理性が、人間の意識の中に『神の出張所』として
 意識の根底に根付いている」
などと言われても、日本人の私たちにはさっぱりピンと来ない。
しかしこれはキリスト教的に考えれば、ごく自然な考え方なのだ。
神の僕で有り、神によって作られた人間のなかに、
神の理性の後見が植え付けられていると考えるのは自然である。
「これからの正義の話をしよう」のなかでも
カントの道徳・定言命法の考え方が論じられていたが、
いまひとつ理解しづらかった理由はここにあったのかと得心できた。

本書を読むことで「これからの正義の話をしよう」のような道徳観や問題意識を
抱けるようになるわけではないが、
それでも「哲学」という学問に少しでも興味を持った方には
ぜひご一読いただきた一冊だった。おすすめ。
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