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西洋哲学の歴史がこれ一冊に凝縮「反哲学入門」

反哲学入門 (新潮文庫)反哲学入門 (新潮文庫)
(2010/05/28)
木田 元

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木田元の「反哲学入門」を読んだ。面白かった。

タイトルに「反哲学」などと銘打っているため、
ただでさえ難解な哲学というジャンルにおいて、
さらに詳細に細分化された哲学の一ジャンルに関する書物かと思いきや、
中身は西洋哲学の歴史を紐解き、
ソクラテスからハイデガーにいたるまでの"真理"”存在”に関する探求の歴史を
非常に分かりやすくまとめられた珠玉の一冊だ。

本書では、哲学という分野がなぜ日本人にとって馴染みが薄く、
かつ非常に難解な学問であるかということを、
プラトンから始まる”超自然的原理”の考え方にあるという。

人間でもない、自然でもない、あらゆる真理や存在を見通し、
理屈では無く感情や本能で物事を理解・把握できるのは、
"イデア"という自然を超越した魂の根底の部分によるものであるとするプラトンの理論は、
その後キリスト教の教えと結びつくことで"神"という概念をより強固なものとし、
その後の西洋哲学に非常に強い影響を与えた。

しかしこの"イデア"による"超自然的原理"は西洋哲学独特の考え方であり、
日本はもとよりアジア諸国や中東諸国においてすら到底生まれえぬ概念だったし、
ゆえに西洋人以外の民族が西洋哲学を本当の意味で
理解することなどできない考え方だったのだ。

なぜなら日本人にとって、人間とは自然の一部として存在するものであり、
神もまたそれら自然のなかに溶け込み、息づいているものとしている。
だがキリスト教は違う。
聖書にもあるように、世界とは万能の神の手により構築されたものであり、
人間は神が自身の姿を似せて作ったものなのだ。
そのような宗教観をもつ西洋人が考えた哲学が、
まったく異なる宗教観をもつ日本人に理解できるはずなどないのだ。

例えばデカルトの「我思う、故に我有り」という有名な言葉があるが、
これは「自分の存在を疑い続けている自分」の存在は疑うべくもないとして、
これを出発点・第一原理として自己の存在を確立していった。
そのなかで「自分を自分たらしめる意識」こそ人格理性であり、
ここには「神の出張所」とでも言うべき、
神の後見を得た生得的観念を同時に持ち合わせている、としている。

このような「神の理性の後見」を廃したうえで「存在すること」を
定義してみせたのがカントの「純粋理性批判」だ。
カントは理性的認識の範囲を、純粋理性批判になかで理性そのものの
自己批判によって明らかにしようとした。
これをヘーゲルが弁証法を用いて拡張し、
このことにより人間社会全体に通ずる精神と、世界全体への超越論的主観を手に入れた。
超自然的原理による思考様式はここで完成されたとされている。

そこへ、ニーチェがプラトン以降の西洋哲学をニヒリズムと呼び、
ニヒリズムからの脱却を図り、プラト二ズムを批判した。
これまでの西洋哲学のわかりづらさは、
自然を超越した超自然的原理から観測することで発展してきたが、
しかし人間もまた自然の一部で有り、
超自然的立場など仮定したところで詮無いことであるとし、
超自然的原理を仮定せずとも成立する哲学を構築しなければ
これ以上の哲学の発展はない、
とニーチェは批判した。
木田氏自身、超自然的原理を必要としない哲学を、
それまでの西洋哲学と対極を成すという意味も込めて「反哲学」と呼び、
別の学問体系として区別した方が良い、と論じている。

哲学の歴史をこのように理解することで、
確かにデカルトやカントの「理性」の分かりづらさが理解できたような気がした。
「すべて道徳をそなえた人格理性が、人間の意識の中に『神の出張所』として
 意識の根底に根付いている」
などと言われても、日本人の私たちにはさっぱりピンと来ない。
しかしこれはキリスト教的に考えれば、ごく自然な考え方なのだ。
神の僕で有り、神によって作られた人間のなかに、
神の理性の後見が植え付けられていると考えるのは自然である。
「これからの正義の話をしよう」のなかでも
カントの道徳・定言命法の考え方が論じられていたが、
いまひとつ理解しづらかった理由はここにあったのかと得心できた。

本書を読むことで「これからの正義の話をしよう」のような道徳観や問題意識を
抱けるようになるわけではないが、
それでも「哲学」という学問に少しでも興味を持った方には
ぜひご一読いただきた一冊だった。おすすめ。
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IBMを救った男の自著「巨象も踊る」

巨象も踊る巨象も踊る
(2002/12/02)
ルイス・V・ガースナー

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1992年当時破綻寸前とまで言われたIBMを、わずか数年で復活させたカリスマCEOの自著。
本書を読んでいて思ったのは、いかなる優秀な人員・優秀な組織でも、
それが長年維持され続けると慣性力が働き、いわゆる「官僚化」してしまうことだ。
自分が帰属する組織の利益のみを求め、全社利益を考えない。
結果、組織は硬化し身動きを取れなくなる。

太平洋戦争を思い出せば良い。
戦時中、日本は戦争勃発当時こそ破竹の快進撃で次々とインドネシア諸島を占領したが、
補給線は伸びすぎ、本国からの補給を立たれた前線部隊は
数万人の餓死者を出す悲劇を生み出した。
これはひとえに官僚と企業の癒着による「戦争利権」によるものだ。
官僚が己の利益のみを考え、「国家」という全体利益をないがしろにしたために
補給線は延びきり、ガダルカナル島奪還作戦時においては逐次戦力投入などという
愚策を生み出したのだ。

危機のさなかにあったIBMも、まさに同じ状況だった。
それぞれの事業部は完全に独立しており、販促費や広告打ち出しすらもすべてが独立していた。
故に、一冊のIT情報誌で1ページもIBMの広告が載らなかったかと思えば、次の号ではすべての広告ページがIBM製品のものだった、などという笑えない状況が現実のものとしてあり得たのが当時の状況だったという。
まさしく混乱の極みだった。

そのような混乱をまとめあげ、解決に至らしめたルイス氏の施策。
それは特段珍しいものではない。
問題を洗い出し、不採算事業から撤退し、投資する対象事業を絞り込み、
無駄に金を食い潰している製品のサポートを終了する。
もちろん取った施策はこれだけではないし、何よりもメインフレームを主軸としたというハードウェアメーカーから
BIを主軸としたSIerへの道を選んだのはまさしく英断といえるものだが、
氏の胸奥に息づく「IBMを絶対に変えてみせる」という情熱と、
それを実現させた決断力、そして自社・他社の批判をものともせぬ胆力と強烈なリーダーシップがあったればこそ、
IBMの沈降を防ぎ、さらなる上昇を実現させた大きな要因だったのだと思える。

本書から得られる教訓は、大企業病に冒されたすべての企業に適用できるものだろう。
そして大企業病というのは意外に多くの中小企業が冒されているものだ。
日経ビジネスのニュースによれば、従業員数100名以上の企業になると
人の判断よりもプロセスこそ注視されがちとなり、
中小企業の強みである「フットワークの軽さ」が犠牲になってしまうことが多くなるそうだ。

方向性を見失い、将来のビジョンを描けなくなった中小企業の経営者にこそ読んで欲しいと思える一冊だった。

世相への痛烈な皮肉に満ちた短編集「アリスへの決別」

アリスへの決別 (ハヤカワ文庫JA)アリスへの決別 (ハヤカワ文庫JA)
(2010/08/10)
山本弘

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恐るべき着想だ。
本書に収録された中編小説「夢幻潜航艇」を
読み終えて抱いた感想がそれだ。
それは人の意識によって世界が確定するという、
シュレディンガーの思考実験を更に拡張させた世界観のもとで物語は進んでいく。
その中で展開される事件は、僕の想像力を越えたものばかりだ。
希望も、未来も、考えたことがすべて「あったこと」として過去を確定し、
実現してしまう世界だからこそ、そこでは不安や絶望すらも実現してしまう世界でもある。
そのような世界においては、人々の生活習慣すら現実の僕たちのそれとは根底から異なってくる。
大枠の生活様式に大きな違いはなかったとしても、
働くことの意義や、日々の生活の糧など、
もっとも根源的な部分では僕らの価値観と相容れないものとなっている。

だが本編が示したもっとも大きな示唆は、
このような物理的にありえない世界観でも、
どこまでも深く思想する想像力さえあれば、
物理法則の異なる世界の文化や世相、事件各種を生み出し得るのだという
驚くべき可能性を示してくれた。
これほどの衝撃は、小林泰三の「天体の回転について」に収録された
「時空争奪」を読み終えたときに抱いた思いにも似ている。
人はこれほどの途方もない物語を作れるものなのだと。
僕と同じ日本人がこれほど壮大な物語を作ってみせたことは素直に誇らしいと思えるし、
反面、己の力量不足に陰鬱ともさせられてしまう。
自分ももっと精進せねば。

シリーズ最悪!これが本当のデスマだ!「なれる! SE7 目からうろこの?客先常駐術」

なれる! SE7 目からうろこの?客先常駐術 (電撃文庫)なれる! SE7 目からうろこの?客先常駐術 (電撃文庫)
(2012/08/10)
夏海公司

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回もデスマ街道を突っ走る主人公たち。
しかし、今回はその深刻さが並外れている。
これまでのエピソードでは、立場の違い故に反発することがあっても、
プロジェクトの完遂、顧客満足度の向上という絶対の目的を共通できていた。
しかし今回の案件は違う。
まさしく魔窟だ。
上流の社員は自分の出世しか興味がなく、社内政治をどううまく渡り歩くかしか眼中にない。
そこには下請け社員や外注社員を同じプロジェクトのメンバーとして扱う理性が入る余地はない。
そんな人として当たり前の人間性すら淘汰される環境において
主人公に課されるのは、文字通り死への行進のみ。
痛いよ!胃が痛いよ!
それでも、そこはさすが電撃文庫。
最後は(幾ばくかの不安を残しつつも)スカッとするラストで締めくくってくれた。
ラストの引きを鑑みるかぎり、
この物語もいよいよ佳境にはいってきてるのではないかと推察するが、
いずれにせよ次の物語も楽しみで仕方ない!
すべてのSEは胃を痛みつけてでも読むべき名著だよ!オススメ!

……それはそうと、この小説がボイスドラマになるらしいが、これはやはりアニメ化への布石なのかしら?
こんな小説をアニメ化しちゃったら、
世の学生は絶対にSEにだけはなりとくない、と思うんじゃないかしら。

さあ統計でみんなを騙そう「統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 」

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)
(1968/07/24)
ダレル・ハフ

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「世の中には三つの嘘がある。嘘、真っ赤な嘘、そして統計だ。」
そう言ったのはイギリスの政治家ベンジャミン・ディスレーリだ。

本書はその格言のとおり、統計に隠されている「嘘」の手法を
数学初心者にもわかりやすく解説された名著だ。

統計学というのは本来極めて難解だ。
例えば「平均」という言葉は、日常会話のなかでは
「優秀すぎず、かといって劣悪すぎもしない、
 もっともありふれた『普通』を表現する代表値」
のような意味合いとして使われることが多いと思う。

だが統計における平均は違う。
平均とは単なる算術平均のことであり、
すべてのサンプル値を足し合わせた後にサンプル数で割り算した
「算術平均」に過ぎない。
もし日常会話で使われる「平均」の意味に近づけるならば、
中央値や最頻値という値を使うべきなのだ。

しかし世の中に溢れる「平均値」は、
「算術平均」「中央値」「最頻値」のどれかを、
発表する人の立場にとってもっとも都合の良い値が選ばれているのが現状だ。
この「発表する側の意図」を統計のなかから見極めねば、
嘘を見抜くことは難しい。

もちろん、本書を一読するだけで「統計に隠された嘘を完全に見抜く」ことなどできない。
そもそも「真実を推測するだけの材料は与えられてない」事の方が多いのだから、
嘘を見抜くことなどできるはずもない。

だが、本書を読めば「この統計は嘘をついているのではないか?」と疑うことはできる。
私たちは日常的に——テレビ、新聞、インターネット、そして会社のマーケット戦略——統計を目にしている。
それら「統計」の嘘を見抜くことはできずとも、
「嘘では無いか?」と疑うことで、
悪意ある他者に騙されたり、手玉に取られることもなくなるだろう。

新聞やテレビなどの報道やインターネットにより、
溢れる情報の「正しさ」を判断し、選択する必要がある。
そしてその判断、選択する「力」を身につけるための名著としては
瀧本哲史「武器としての決断思考」や、
苅谷剛彦「知的複眼思考法」が挙げられるが、
本書ではそのなかでも「統計」に対する考察ポイントを
実例を多く用いながら解説してくれている。

統計学を修めたい初学者には物足りないだろうが、
統計を正しく理解し、その判断力を人生における節目の決断力の一助にしたいと考える方は
必読の一冊だろう。

人間の『道徳』を根底から問う「ストレンジボイス」

ストレンジボイス (ガガガ文庫)ストレンジボイス (ガガガ文庫)
(2010/01/19)
江波 光則

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これは恐るべき毒物だ。
まるでネバネバした闇の向こうから
じっとりとこちらを見据えているような、
恐怖とは言い切れぬ不安にも似た気持ちにさせられる小説だ。

いまは大津市のイジメ問題が世間を賑わせているけど、
この小説に登場する人間もまたかなりえげつない。
いじめる者、いじめられる者、それを黙って観察する者。
いじめを構成する三者は、それぞれが一様に、歪で、狂っている。
「いじめという問題はどこの社会でも起きうる」
などというおためごかしは効かないほどに、
はっきりと狂っているのだ。

孤独を恐れるあまり、いじめられている現実すらも「友達の遊び」と受け入れるいじめられっ子。
他者を恐れる余り、いじめる人間もいじめられる人間にも近づけず、
ただじっと人間の壊れていく様を観察する者。
そして他者という概念すら持ち得ず、故に孤独というものを恐れることもなく、
他者を徹底的にいじめ抜けるいじめっ子。

それぞれの歪んだ人生観と道徳観をぶつけ合い、
最後には奇妙で歪だけれども、しかしある種の均衡のうえで生き続ける主人公たち。
その歪んだ均衡ははあまりにも怪奇的で、かつおぞましい。
終盤の展開を読みながら、幾度背筋を怖気が走ったか知れない。

装丁こそライトノベルを装っているが、騙されてはいけない。
これほど毒性の強い読書は「隣の家の少女」以来だ。
(もっとも、本書の毒性は隣の家の少女よりはまだ軽度だけど)
人間の本性の汚らしさ、
定言命法から導かれる道徳などにまったく希望を見いだせなくなっても良い方には、
是非読んでいただきたい一冊だ。

若さ故の苦悩が精緻に描かれた傑作「クドリャフカの順番」

クドリャフカの順番 (角川文庫)クドリャフカの順番 (角川文庫)
(2008/05/24)
米澤 穂信

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アニメ放送に触発されて再読。
うむ。やはり面白い。

どこか現実離れした文化祭の艶やかさの陰で、
人を食ったようなエンディングが鈍く光る素晴しい構成。
序盤から中盤にかけて、ずっと「ただ楽しい」という感情だけを享受していながら、
ラストに於いて読者の心にすとんと陰を落とし込んでくる技量は簡単を禁じ得ない。

それでも、僕はやはり文化祭の空気の描写に喝采を浴びせたい。
このような「浮世離れした」お祭り騒ぎを読んで
真っ先に思い出したのは森見富美彦氏の「夜は短し歩けよ乙女」だ。
あの作品は最初から最後までずっとふわふわとしたファンタジーだった点に於いては
本作と厳密な比較はできないけれども、
少なくとも「文化祭」という題材における
登場人物たちの浮き足だった「楽しさ」や「喜び」「興奮」といったものは
非常に洗煉された筆致で表現されていたように思える。

10回読んでもまだ飽きない、スルメのような小説だな、これは。
またいつか読み返そう。

わけわからん「紛争の世界地図」

紛争の世界地図(日経プレミアシリーズ)紛争の世界地図(日経プレミアシリーズ)
(2009/12/09)
宮田 律

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これはひどい。
紛争の歴史を時間軸ではなく原因や現象別で区切っているから読みにくいことこの上ない。
例えば第一章ではナショナリズムに視点を据えているけど、
中国のナショナリズムとロシアのナショナリズムを同列であつかっているから
両者の問題点が何も見えてこない。

また第二章では日本の現代史に触れてるが、
ここでも第二次大戦後の日本国憲法草案作成時にアメリカの方策により「非武装」が草案に盛り込まれたけど、
僅か五年後に「武装化」を吉田茂首相に求めてたりしてる。
なぜこのような方向転換が為されたのか、まったく説明されておらず、
ただ事実だけを淡々と並べ立てているだけなのでさっぱりわからない。
(本書では語られていないが、1949年にアメリカが日本に武装化を求めた理由は朝鮮戦争があったからだ。
 一時は朝鮮半島すべてを米軍が占領したが、中国の猛攻により戦線を南下させられた。
 これに対抗すべく、在日米軍を挑戦へ集中させるために、
 ソ連が南下してきたとしても日本には自分で自分を守れるようになってもらわねばならなかった。
 そこでアメリカは吉田首相に命じて警察予備隊、今で言う自衛隊を結成させたのだ)

なので2章までしか読んでないけど、この本はもう読むのやめた。
これ以上読んでも得られるものなど何もないと思うので。
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Author:缶
SS書いたり読書感想文書いたり仕事のあれこれを勝手気ままにダダ漏れさせる予定のようなそうでないような。

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