スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

魔人同士の忍術合戦 山田風太郎「くノ一忍法帖」

くノ一忍法帖  山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)くノ一忍法帖 山田風太郎ベストコレクション (角川文庫)
(2012/09/25)
山田 風太郎

商品詳細を見る


山田風太郎の「くのいち忍法帖」を読んだ。面白かった。

今更山田風太郎という作者のことを説明することはないと思うけど、
マンガ好きの人たちの間でもっとも有名な作品といえば
「バジリスク」の原作でもある「甲賀忍法帖」だろう。
この甲賀忍法帖とは、伊賀と甲賀の忍者たちが魔技を駆使しながら死闘を繰り広げるという
極上のエンターテイメント作品だ。
甲賀忍法帖では伊賀・甲賀それぞれ10人の忍者が互いを殺し合うストーリーだったが、
このくのいち忍法帖では、信濃の女忍者と伊賀の忍者による殺し合いが展開される。

大阪城を攻め滅ぼした徳川家康。
炎上する大阪城からからくも救出した千姫の安全を
家康は心から喜んだが、しかし千姫はすでに心の底から豊臣家の人間となっていた。
そして豊臣を滅ぼした家康を心から憎んだ千姫は、
秀頼の血をこの世に残すため真田が考案した秘策に己の運命を委ねる。

その秘策とは、真田の女忍者5人に秀頼の子を孕ませ、豊臣家の血を残すこと。

千姫自身が秀頼の子を宿してしまえば千姫自身を殺めかねないと判断し、
側室として侍らせた女忍者に種を宿させた真田の目論見。
かくして家康は豊臣の血をこの世から抹消するために
魔人とでも呼ぶべき伊賀の忍者5人を呼び寄せ、彼らに女忍者の抹殺を命ずる。
かくして、人智を超越した忍術を操る魔獣たちの、血で血を洗う抗争が始まる……。

この小説のタイトルにもあるとおり、主人公はくのいちであり、
くのいちを擁護し保護している千姫たち一行である。
そして彼女らとその腹に宿した胎児の命を狙わんと画策するのは、
他でもない、豊臣家を滅ぼし、千姫の実の祖父である家康である。
そう、これは千姫と家康の戦いであり、くのいちと忍者の戦いでもあり、
さらに端的に言ってしまえば男と女の戦いなのだ。

男と女と一言で言ってしまえど、彼らの胸中で輝くのは括弧とした覚悟である。
そこにあるのは男の支配欲であり、亡き主君や夫への忠心であり、そして女としての矜恃と意地なのだ。
恐るべき忍術を前に屈することがあろうとも、
ただでは死なず一矢報いて相手をも道連れにしていく最後の覚悟は、
ことごとくが凄惨であり、それでありながら強靱な美しさを秘めている。
次々と披露される怪術とでも呼ぶべき忍術の数々は、いずれも凄絶の一語に尽きる。
そしてそれらを駆使しながら、「このような術をどのようにして破り、相手を屠るのか」と
期待と不安を抱かせ、そして痛ましい場面を連想させながらも次々とページをめくらずにいられない
物語展開は本当に見事だ。

そして繰り返された死闘の果てで、家康と千姫はどちらの想いが強かったのか、
どちらの意地がまかり通ったのかを思い知ることになる。
かたや冷血に徳川の繁栄のみを求め、豊臣を根絶やしにすることだけを病的に求め続けた老人。
かたや愛する夫を誅殺され、復讐に燃えるうら若き乙女。
二人の想念がぶつかり合うのは、本当に最後の最後の一ページだ。
くのいち忍法帖という長編小説の最後を締めくくるに相応しい、恐るべき一ページとラストの一行が
読者の心の中でいんいんと響き続ける。

数十年前に刊行されたとは思えぬ素晴らしい力作。
これこそエンターテイメントの本質であり、超人同士のバトル小説のはしりとでも呼ぶべき作品だ。
おすすめ。
スポンサーサイト

安倍晋三氏の政治信条がこの一冊に凝縮「美しい国へ」

美しい国へ (文春新書)美しい国へ (文春新書)
(2006/07)
安倍 晋三

商品詳細を見る



安倍晋三の「美しい国へ」を読んだ。面白かった。

本書は安倍氏が内閣総理大臣に就任した2006年に出版された、
自身の政治信条を綴った筆者初の単著。
このなかで語られているのは、政治家安倍晋三の原点であり、
政治家としての信条と思想であり、
そして絶対に解決せねばならないと強く心に刻んでいる各種問題への熱い想いなのだ。
例えばそれは日本人の自虐的歴史観であったり、
教育問題であったり、超高齢化社会へひた走る日本の未来であったりする。
安倍氏はそれら諸問題についてひたすら誠実に受け止め、ひとつひとつ丁寧に解説し、
これを解決せねばならない、と非常に分かりやすく精細な筆致で語っている。

特に圧巻だったのは、日本がイラクへ自衛隊を派遣する際に問題となったのが、
日本が軍国主義へと生まれ変わり、他国侵略の手段として自衛隊を利用するのでは無いか、
という内外からの批判だ。
これはまったくの誤りだと言って良いだろう。
実際これまで日本は他国侵略をしたことがあるか?それをほのめかしたことがあるか?
自衛隊の現地での活動はどうだったか。それは本当に侵略だったのか。
現地での活動は、現地民に非常に感謝され、別れを惜しむ現地民すらいたことは有名な話だ。
それをもって、安倍氏は本書の中でこう語っている。

"日本が軍国主義に走るなどと馬鹿げた報道だ。
 世界中が見ている。
 日本人自身が作り上げたこの国の態度について我々は堂々と胸を張るべきである。"

まさしくその通りだ。
日本人はこれまで他者を排斥したことなどない。
日本という国が暴走し、他国を蹂躙・占領していたのはすでに100年前の話であり、
戦後70年間、一度とてそのような態度を日本という国家が見せたことは一度もないではないか。

我々はもっと胸を張るべきなのだ。
近隣のアジア、いや韓国・北朝鮮・中国の三カ国からは日本の歴史観について
非常に厳しい、というよりも穿った感性でもって日本を攻撃してくるが、
その他の国からの日本への評価を見てみれば良い。
いずれも日本の態度について賞賛こそすれども、軍国主義などと批判する国など皆無である。
そのことをはっきりと明言し、そして改めてそれを事実として認識させてくれた安倍氏には感謝しても仕切れない。

本書は、日本人として生まれたことに感謝できる本だ。
読了後にこれほど清々しい気分にしてくれた書というと、
浅田次郎の「五郎治殿御始末」がある。
これは江戸という封建社会から明治という自由社会へ変わったとき、
これまで自身が生きてきた時代と文化を、
「古く非効率なもの」と断ぜられ無理やり新しい文化へと変遷させられた、
その当時を生きる人々の粋を描いた名著だが、
この安倍氏の「美しい国へ」という本は浅田次郎氏の書にも並ぶ、
日本という国への愛着と帰属意識を育ててくれる素晴らしい書であったことをお伝えしたい。

非常に素晴らしい一冊でございました。おすすめ。

80万年という時を越えて何を見るか「タイムマシン」

タイムマシン (光文社古典新訳文庫)タイムマシン (光文社古典新訳文庫)
(2012/04/12)
ハーバート・ジョージ ウェルズ

商品詳細を見る


ウェルズのタイムマシンを読んだ。面白かった。

時代は19世紀末、とある発明家であり科学者でもある人物の家に数人の知識人が集まり、
彼の説明を「私」が聞くところから物語は始まります。
その中で、すでに「私」は発明家のことを「タイムトラヴェラー」と呼んでおり、
彼こそが本書の主人公であることを読者に示してくれます。

序盤こそ様々な時間移動に関する物理的解釈に費やされ
少々退屈な(しかし理系のオイラにとっては刺激的な)会話が繰り広げられますが、
本当の物語はその次、新聞記者や医者を一堂に会したうえで展開される、
未来を旅した冒険譚の語り口なのです。

タイムトラヴェラーが旅をしてきたのは、80万年後の地球。
そこには人類の叡智などとうに枯れ果て、
ただ大自然たる河川が流れ、緑が生い茂り、
そのなかで人類の子孫であるイーロイ人が暮らしている世界があるだけなのです。
そこにはかつての栄華や叡智も何も無く、叡智の根源であったはずの好奇心すら薄っぺらで、
ただその日その日を面白おかしく過ごし、牧歌的に過ごすことさえできれば
それだけで満足してしまうような人類の子孫の姿に、
タイムトラヴェラーは少なからない絶望を抱いてしまいます。

しかし、それだけで話が終わらないのが本作。
ただ人類の子孫の在り方に絶望するだけで無く、
実はその牧歌的な生活こそが人類の行く末、
すなわち人類がかつて築き上げた経済的格差社会を根源とする
人類という生命体の進化の行く末そのものだったのです。
悲観的というにはあまりにも残酷なその進化の有り様に、
そしてこのような想像の翼を広げて
ひとつの作品に仕立て上げてしまうウェルズという作者の力量に
ただただ感服すると同時に、畏怖の念すら感じてしまいます。

そして彼が次々と旅をしていくのは、
ただ人類という一生命種の行く末を見守るだけでなく、
地球という惑星の在り方と未来の有り様を見つめる旅にまで発展します。
そこで彼が何を見て、何を感じ、何を得て返ってきたのかは、
ぜひ皆さんが本書を読んで、感じ取ってください。
彼が感じた絶望や失望、望郷や郷愁を、本書を通じて汲み取ることができるでしょう。

いやはや、本書は凄まじい一冊でございました。
タイムマシンといえばタイムパラドックスをテーマとした物語構造がお約束ですが、
まさか生命体や惑星の在り方にまで言及し、
恐るべき科学考証でそれらの姿をつまびらかにしてしまう作品が
100年以上前にすでに実在していた現実に戦慄を感じてしまいます。

単純なタイムパラドックス物では無く、
人類、惑星、進化の全てについて想いを馳せてみたい想像力豊かな読者諸賢は
ぜひぜひ本書を手にとっていただきたいと思います。
おすすめ。

合唱を通じて成長する青春群像劇「くちびるに歌を」

くちびるに歌をくちびるに歌を
(2011/11/24)
中田 永一

商品詳細を見る



中田永一の「くちびるに歌を」を読んだ。面白かった。

これは九州地方の離島に住む中学生たちが合唱部を通じて成長するという青春群像劇だ。
この物語に登場する少年少女たちはいずれも等身大の子供たちで、
それぞれに悩みを抱え、葛藤を抱え、自身のなかである種の諦めにも似た達観すら抱いている少年もいる。

そんな彼らが作中でしたためるのは、15年後の自分に宛てた手紙だ。
作中では各登場人物たちのモノローグと共に、手紙の片鱗が明かされていく。
彼らは何を思い、何を憂い、そして何を決意していったのか。
中学生でありながら、いや、中学生であるからこそ、
"進路"という初めて経験する人生の岐路に懊悩する。
島の中の高校に通う者、島を離れる者、東京へ行くと野心を燃やす者、
そして島から一歩も出る事は無いだろうと透き通るような諦観で己の将来を見据える者。

彼らはそれぞれの想いを胸に秘めて、
ひたすらに合唱に打ち込み、ときに衝突して、ときに素直になれず、
それでも最後には互いに心を通わせて、弾けるような色彩に溢れた合唱を展開させるのだ。

特にラストシーンにおける合唱は圧巻だ。
そこには様々な思いが飛び交っていた。
照れくささ、皆に受け入れられた喜び、たった一つの想いを受け入れられなかったほろ苦い哀しみ。
悲喜こもごもの想いを乗せて届けられる合唱は、その想いに答えるようにして、
たったひとつの、しかしかけがえのない贈り物を返礼されるのだ。
それは、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。
しかし偶然に過ぎなかったのだとしても、それこそが合唱という煌めいた贈り物への返礼なのだと、
そう信じたい。

この小説は、強烈な感動に打ち震えるわけでもなければ、
手に汗握る壮大な物語が展開されるわけでもない。
しかし中学生という時代を過ごした人であれば、
この小説を読んだ後には、このような時代が自分にも合ったのだと懐かしく振り返らせてくれるに違いない。

映画スウィングガールズやウォーターボーイズのような青春群像劇が好みの方には
自信を持っておすすめできる逸品でございました。
是非ご一読を。

人の死を見るという好奇心に突き動かされた少女たち「少女」

少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)少女 (ハヤカワ・ミステリワールド)
(2009/01/23)
湊 かなえ

商品詳細を見る



湊かなえの少女を読んだ。面白かった。

湊かなえというと、僕が読んだことがあるのは
本屋大賞を受賞し、映画化もされた「告白」くらいしかなかったのだけど、
告白は非常に洗煉された素晴らしいミステリーだったため
この少女も発売された直後に即効で作家買いしたにも関わらず
3年以上ずっと本棚の肥やしにしていたのをこの度ようやく読了した次第。

主人公は由紀と敦子。高校二年生。
二人は人の死ぬところを見てみたいと、夏休みを利用してそれぞれ別々の行動を取る。
由紀は入院患者向けの童話の読み聞かせボランティアに、
そして敦子は老人ホームのボランティアに参加する。

その中で様々な経験をする二人は、数多くの偶然に翻弄されながらも
多くの人の優しさや温もりに触れて、貴重な経験を経て大きく成長していく。

そう、この小説の神髄は青春小説なのだ。
ミステリーとしての出来映えもさることながら、
高校生特有の悩みを生々しく精緻な筆致で描かれている。
そして夏休みの僅かな、しかし貴重な体験を経た二人が、
クライマックスでどのような顛末を迎えるのか、是非ご覧いただきたい。

告白のような衝撃的なミステリーを期待して読んでしまうと肩すかしを食らうかもしれない。
しかし前作にも見られた独特の読後感は本作でも健在だし、
告白を気に入った方は是非本作にも手を伸ばしていただきたい、
そう思える一冊でございました。

それは一人の女性が繋いでいく奇跡の物語「詩羽のいる街」

詩羽のいる街 (角川文庫)詩羽のいる街 (角川文庫)
(2011/11/25)
山本 弘

商品詳細を見る



山本弘の詩羽のいる街を読んだ。面白かった。

これは、奇跡の物語だ。
作中ではヒロインの詩羽は
「自分がやっていることは論理的な行動に過ぎない」と述べているが、
これは間違いなく奇跡の物語であり、
彼女にしか為し得ない素晴らしい行動と結果の物語なのだ。

ある日新作の執筆に悩むマンガ家志望の青年は、
己のマンガをどのように書くべきか悩んでいた。
担当編集を納得させ、
自分を殺してでも"売れるマンガ"を目指すことこそが正しい道なのか、
それとも己の描きたい物こそ書き続けていくことがあるべき姿なのかを悩んでいた。
悶々としたものを抱えたまま、スケッチをとるため気まぐれに立ち寄った公園のなかで、
青年はある不思議な光景を目にする。

5人の小学生たちが購入したカードの交換会をしている。
だが子供たちが欲しいカード、
あるいはいらないカードというのはそれぞれが全く異なる。
1対1だけでの交換だけでは皆が望むカードを入手することはできそうにない。
そこで活躍するのが詩羽だ。
彼女は子供たちのいらないカード、欲しいカードをすべて把握し、
また交換するならどのカード何枚分とであれば交換に応じるという
特殊カードの交換条件についても理解し、
1対1での交換だけでなく、三角関係でのカード交換、
あるいは四角や遂には五角関係でのカード交換まで成立して見せ、
そこにいた子供たち全員を納得させるカード交換会を実現してみせたのだ。

カード交換に満足した子供たちは、
やがて青年のもとへやってきて「カードのイラストを描いて欲しい」とせがむ。
望まれるまま幾枚かのイラストを描いてあげたところで、
詩羽が青年に近づき、そして告げる。
「ねえ、私とデートしない?」
ここから、詩羽という女性によって紡がれる奇跡の物語が始まる。

詩羽は言う。
「良い人はみんな幸せにならなければならない」と。
「善良なのに不幸なのは納得がいかない」と。
だから詩羽は自分の力によって不幸になってしまってる人に手を差し伸べ、告げるのだ。
「デートをしよう」と。
そして「私があなたを助けてあげる」と。
人々は決して彼女自身の力によって救われるわけではない。
彼女は手を差し伸べ、機会を用意してやるだけだ。
彼女はただ、一歩を踏み出すことのできない人々の背中を押してやって、
人と人との繋がりをエスコートしてあげているだけなのだ。

しかし、たったそれだけのことができない人がどれだけ多いことか。
そしてそれを演出してもらえるだけで、
一歩を踏み出す勇気を得て、己の才能を開花させ、
幸福というかけがえのない財産を得られる人の何と多いことか。

詩羽はあくまで論理的に動いたに過ぎないという。
実際に行動したのはその人自身だし、
私はその後押しをしてあげたに過ぎないという。
だが彼女と関わった人々はそのように考えたりはしない。

自分たちは詩羽によって救われたのだと。
詩羽と出会うことによって変わることができたのだと。
詩羽が導いてくれなければ、今でも自分は狭い部屋、
狭い世界の中で悶々としていたに違いない、と。
詩羽に導かれた人々は異口同音に告げることだろう。

才能や技術、仕事を必要とする人。
そして、それを提供できる能力を持ち合わせている人。
だがこの二人を結びつけるものはなにもない。
どちらか一方が新聞などに求人や広告をうてば解決できることかもしれないが、
個人レベルではそこまでの労力とコストをかけてまで行動しようという人はいない。

だが詩羽は違う。
彼らは"互いを知らない"という最も簡単で、
しかしもっとも越えることが難しいハードルを前に諦めていた彼らを、
詩羽は華麗に、見事に人と人とを結び、繋げ、かつ新しい価値を創出していく。
それが積み重なって、人々を救い、街を救い、皆が幸福になっていく中で、
詩羽はぽつりと呟くのだ。
たったひとつ。たったひとつだけ辛いと思えることを。
そのことは決して作品全体を貫くテーマにはなっていないし、
詩羽自身も深刻に受け止めているわけではない。
だが詩羽自身が抱えるその悩みもひっくるめて、
彼女自身が幸福を掴める日が来るのだと、その幸せをこの街でこそ掴んで欲しいと、
そう願わずにいられなく読後感を味わわせてくれた。

この本は本当に素晴らしい良書でありました。
2012年に出会えた本の中で最高の作品だ。
本当におすすめです。是非ご一読を。
プロフィール

缶

Author:缶
SS書いたり読書感想文書いたり仕事のあれこれを勝手気ままにダダ漏れさせる予定のようなそうでないような。

缶のTwitterアカウント

缶のpixivアカウント

オススメ!

最新記事
リンク
ブログ内検索
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。