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初音ミクSS「君の心は、そこにある」第三章~懊悩~

正徳二十年(西暦二〇〇八年)三月六日(木)[1]




暦は早春を迎え、うららかな陽射しが日一日と暖かくなり、

春の気配が高まるのを感じられる日が続いていた。

春の嵐はまだ訪れていないが梅の花はとうに散り、代わりに桃の蕾がだいぶ大きく膨らんでいる。

この蕾が開き、そして散る頃には桜の花が壮麗な美しさをもって咲き誇るのだろう。



生活の中で優しい春の足音を聞き、

道を行く人々の姿にもどこか陽気めいた明るさと開放感を滲ませ始めるこの季節。

しかしミクの胸裏に渦巻く情動は穏やかならぬ不安に満たされ、

日々の柔らかい変化に気づく事も出来ぬまま、暗澹とした憂鬱に翻弄されるだけだった。



あれから一ヶ月。

調子の悪そうな星登を慮り、伸ばした手を払いのけられた、

あのショッキングな日から一ヶ月が過ぎていた。

今にして思えば、あの日のあの出来事こそが、全ての変化の発端であったような気がしてならない。



一つ目の変化として、街の人々の差別と偏見に満ちた視線に気がついてしまった。



商店街で働く人々はミクを快く迎え入れてくれたために、これまで全く気がつかなかったのだが、

商店街へ買い物に来ている一般客からは、

何かしらの差別意識を持ちながら接せられている気がしてならなかった。

例えばスーパーのレジで並んでいれば、後から来た客が

『何故アンドロイドのくせに順番を譲らないのだ』

と言わんばかりに舌打ちされたりした。

あるいは市役所へ行くためバスに乗ろうとしたとき、

バスが混んでいるからお前は乗るな、と乗客から言われた事がある。

それまでのミクの行動範囲は、商店街、学校、公園など限られた場所だけで、

範囲が非常に狭かった事もあり、あからさまな差別を受ける事は少なかった。

しかし日常生活の領域から一歩外へ出てみれば、そこは蔑視と偏見の沼地であり、

相応の覚悟がなければ市街へ出る事などとても出来なかった。



二つ目の変化として、星登の帰りが途端に遅くなり始めた。

これまでも仕事が忙しくて夜の十時頃に帰宅してくることは何度かあったが、

ここ一ヶ月はそれがほぼ毎日続いている状況だった。

仕事が忙しくて職場で弁当を食べるから夕飯はいらない、職場の人間と飲みに行くから遅くなる、

理由はその日その日で様々だが、とにかく星登が帰ってくる時刻が極端に遅くなった事は事実だった。



寂しくないと言えば嘘になる。

あの日以来、星登がミクをあからさまに拒絶することはなかったが、

しかし星登と会話する機会を極端に減らされてしまったことは、

ミクの胸裏に寂寞の暗影をもたらしていた。

それにコトミと共に受けた喫茶店での蔑視や、日常の中で思いがけず降りかかる差別と愚弄は、

時を経た今でも痛烈な痛みとなってミクを襲い、

無性に星登の背中へ寄りかかりたくなってしまうのだ。



だが、ミクはその欲求を渾身の力で押さえつけ、星登の帰りを待ち続けた。

寥々とした孤独に耐え、天上と地上に星々が点々と灯り始めても、

星登が帰ってくるこのアパートの一室で、ただ一人待ち続けた。



そして深夜、とうとうドアが開かれ星登が帰ってくると、ミクは真っ先に彼を出迎える。

それまでのうら寂しい独りの時間を取り戻すように、

彼に思いっ切り抱きつきたい衝動を胸の奥で意識しながら。



だが、ミクはそれらの欲求を必死で抑える。

何故なら、星登が浮かべる苦悩の表情だけは、

ミクの手を払いのけたあの日から何も変わっていないから。

その悲痛に満ちた相貌を見れば、

彼がとても重々しい何かしらの悩みに心を痛めている事は明らかだった。

だからミクは何も言う事が出来ない。

自分が受けた侮蔑とその哀しみを打ち明け、

自分の悲哀を彼と共有したいだなんて言えるわけがなかった。



初音ミクSS「君の心は、そこにある」三月六日[2]へ

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