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CLANNAD SS「夕凪の声」#04/06

#04





仕事を終えて帰路に着く。
小鳥の群れが疎らな黒点となって、茜色の空を横切っていった。
雲も空も鮮やかな朱に染められているのに、その朱は地上にまでは届かない。
マンションや家が隙間無く立ち並んでいるため、地上には太陽を遮る黒い影しか落とされないのだ。
明日は、卒業式か。
一人ごちる。
かつての母校に向かうのは何年ぶりのことだろうか。
最後にあの門をくぐったのは渚のための卒業式以来だから、もう十年近く前になる。

十年。

言葉にして、その重みを実感する。
そう、あれから十年になるのだ。
渚のはじけるような笑顔が眩しかった、あの卒業式から。
髪を黒く染めた春原を、似合わないと皆でからかったあの卒業式から。
進学した杏や藤林を呼び戻して、証書授与役に幸村を呼んで、渚一人のための卒業式を催してから、もう十年近くが過ぎる。

一年ぶりに袖を通す制服が、照れくさかった。
もう二十歳なのに制服を着るなんてと、恥ずかしがる渚が愛らしかった。
様々な逆境を乗り越えて、それでも懸命な努力のうえで卒業した渚が、誇らしかった。
あの頃の俺たちには、輝ける未来が待っているのだと、重ねた辛労の分だけ幸福が広がるのだと、そう思っていた。
そう信じていた。信じて疑わなかった。

しかし・・・。

俺はそこで考えるのを止めた。
これ以上は危険だ。

晩酌のビールが入ったコンビニの袋を片手に、アパートの階段を登る。
鍵を取り出して、自室の扉を開けた。
部屋の中は暗い。
当然だ。
この部屋には俺しか住んでいないのだから。

見ると、部屋の奥の窓が開いていた。
どうやら、今朝部屋を出るときに閉め忘れてしまったらしい。
カーテンが力なく揺れている。
俺は電気を点けずに部屋を横切り、窓辺による。
外の風景が目に飛び込んできた。

太陽が沈み、闇に溶け込んだ街の中で、点々と浮かぶ光の粒たち。
街灯、家の明かり、換気扇から漏れ出る白い煙。
それら小さな灯りひとつひとつに、知らない人たちのささやかな、それでもかけがえの無い暮らしがある。
そう、彼らにはきっとある。
守りたい人、守るべきと思える人、頼れる人、寄りかかれる人、幸せを祈れる人、笑い合える人、愛せる人、信頼できる人、安心できる人、愛されていると感じられる人、愛を語り合える人、




扉を開ければ、おかえりと言ってくれる人。




それが限界だった。
泣いた。
泣き叫んだ。
悲鳴のような慟哭を、ただ力任せに吐き出し続けた。

街の灯りひとつひとつが鋭利な氷柱となって、体中をザクザクと抉っていく。
体の痛みならば耐えられる。
物理的な痛みならば治療できる。
しかしこの身を襲う強烈な孤独と寂寥は、強固な有刺鉄線となって俺の精神をがんじがらめに縛り潰すのだ。

獣のような慟哭は、喉を切り裂かんばかりの苛烈さで搾り出される。
畳に力を込める指先からは、皮膚が裂けて血が滲み出てきている。
それでも、深海のように掴みどころの無い、しかし恐るべき重圧で襲い掛かってくる閑寂と哀切は、いくら叫んでも、いくら力を込めても、肺の中で悪魔のように暴れ続けていた。

愛する人と結ばれた杏の笑顔が、眩しかった。
娘の事を嬉しそうに話す芳野さんの笑顔が、羨ましかった。
変わり行く街の中で、確実に幸せを掴もうとしている風子の未来が、妬ましかった。

人は変わっていく。
街も変わっていく。
時の経過と共に何もかも変わっていく。
それでも俺は、何も変われずにいる。

違う。

俺は変われずにいるのではない。
変わりたくなかったのだ。
渚のいないこの街で、汐のいないこの部屋で、何の疑問も抱かず生き続けていくことに慣れてしまうことが、たまらなく恐ろしかったのだ。

隣に渚のいない生活。
膝の上に汐のいない生活。
妻も娘も確かに生きていたのに、この部屋で温もりを感じていた筈なのに、少しずつその片鱗が失われてきている。

渚を喪ったばかりの頃、だんごを見る度に陰鬱な痛みが胸を襲った。
汐を喪ったばかりの頃、幼稚園の制服を見る度に暗鬱とした感情が脳裏をよぎった。
街が変わり続けて、渚の想い出も、汐の記憶も、少しずつ失われてきている。
渚と出会った桜並木は、もう存在しない。
汐と初めて旅行した駅の構内は、改装されてあの頃の面影を失くしている。
そうして変化し続ける街の様相が、渚と汐という人間がいたことの証を消去しているように思えて、変わり行く街並みにどうしようもない嫌悪感を抱き続けていた。

渚を愛している。
汐を愛している。
心の底から、これ以上深く想う事など出来ないくらいに、本当に強く強く愛している。
それは過去形ではなく、現在も尚、愛し続けている。

なのに、それなのに、これほど強く愛しているのに、これほど想い続けているのに、どうして俺は独りなのだ。

目に映る街の灯火ひとつひとつの中で紡がれているであろう温もり。
この無数に点在する小さな灯りと、俺がいる部屋の間には、途方も無く巨大な黒い壁が立ち塞がっている。
この暗く冷たく寒い部屋から眺める街の灯火は、余りにも遠くて、眩しすぎた。
自己憐憫の塊となった俺の眼では、これらの光は暖かすぎて、心臓を溶かしてしまいかねないほどの毒性を秘めている。

俺は、棚の上に飾った写真立てに手を伸ばした。
そこには、あの頃と何も変わらない笑顔を浮かべ続ける、渚がいる。
もうひとつの写真立てに手を伸ばす。
そこには、はち切れる程の笑顔を浮かべた、汐がいる。
俺は彼女らを指で撫ぜた。
硬質で冷たい感触だけが指先に残る。

「渚・・・!」

呼んでも、すぐ頬を赤らめる愛らしい笑顔は、もう見られない。

「汐・・・!」

呼んでも、稚気と無邪気をふんだんに散りばめた笑顔は、もう見られない。

どれほど叫び続けても、どれほど悲痛に満ちた雄叫びをあげようとも、彼女らの固められた笑顔が解ける事は無いのだ。
流れる涙の雫が写真に落ちる。
水滴が渚の輪郭をぼやけさせた。
指で拭っても拭っても、渚の輪郭はぼやけたままだった。

そのぼやけた姿が、雪の中で生命を散らした汐の姿に重なる。
どれだけ強く抱きしめても、どれほど強く名を叫んでも、腕の中の汐の体温が零れ落ちていくのを防ぐことができなかった。
掌で掬い取った水のように、力なく、だが確実に体積を減らしていく汐の命。
サラサラと指の間をすり抜けていくような汐の生命を前に、己の脱力感と無力感を噛み締めることしかできなかった。

もっと、自分に出来ることがあったのではないか。
もっと美味しいものを食べさせてやればよかった。
もっと色々な場所へ連れて行ってやれば良かった。
いや、もっと遊んで、もっと会話して、もっと笑い合えば良かった。

しかし、それは最早叶える術のない、ひとつの悔恨に過ぎない。
悔やんでも、悔やんでも、いくら己を恨もうとも、それで愛する人たちが戻ってくることはない。
理性で理解していようとも、感情がこの寂寥を抑えることができなかった。

愛する人がいない生活はもう嫌だ。
守りたい人がいない部屋の寒さが嫌だ。
温もりの欠けた日々が嫌だ。

寂しい。
寂しい。
寂しい。

冷たく凍えそうな孤独感の中で、俺は悲鳴を止めることが出来なかった。
額を畳に擦り付け、涙で万年床を濡らし、胸に写真を抱いても、俺の悲痛を鎮める術にはなりえなかった。
獣のように暴れまわり、愁嘆(しゅうたん)を持て余す俺を第三者が見れば、きっと狂人と区別などできなかったに違いない。
だから、と言うのは言い訳になるだろうか。
俺がそのような願いを胸に抱いたことは。

渚も、汐も、もうこの世界にいないことは分かっている。
それは理解している。
だけど、せめて。
せめて、たった一目で良い。

会いたい。
会って、抱きしめたい。

あの鈴の鳴るような軽やかな声を、もう一度だけ聞きたい。
それだけ。それだけでいい。
それさえ叶えてくれるならば、俺は俺の人生の全てを捧げてみせる。
例えそれが一瞬の奇跡であっても。
ただ一刹那の幻であったとしても構わない。

会いたい。
会いたい。
頼む、会わせてくれ!

俺の狂人じみた願望は、しかし誰の耳に届くことも無く、故に神の御許に捧げられる筈も無く、ただ部屋の冷たい空気を僅かに震わせたに過ぎなかった。
涙が、布団に吸い込まれる。
叫びが、畳に吸い込まれる。
嘆きが、闇に吸い込まれる。
ただ悲嘆に暮れて蹲る俺の体を、月の蒼い光が照らしていた。


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