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CLANNAD SS「夕凪の声」#05/06

#05





翌朝。
泣きすぎて、眦(まなじり)が腫れぼったかった。
目覚ましを確認すると、アラームをセットしておいた時間よりもまだ2分ほど早かった。
俺はアラームを止めてから、二日酔いに似た頭痛を抱えて上半身だけを起こす。
しかし、そこから次の行動に移る気力は残っていなかった。
(顔を洗って、準備して、風子の卒業式に行かないとな・・・)

理性ではわかっているが、寝起き独特の倦怠感が勝って、あともう少しこのままでいよう、と甘えた思考が脳裏を掠める。

そのとき。
もし奇跡というものがあるとすれば、この瞬間のことを呼ぶに違いない。
背後で人の気配を感じたので振り返ってみた、その瞬間のことを。





そこに、汐がいた。





信じられなかった。
信じられるわけがなかった。
まず、自分の目を疑った。
だから目頭に残った目やにを乱暴に拭ってみた。
汐はまだそこにいる。

次に、自分の正気を疑った。
狂気じみた願望が生んだ幻かと思った。
しかし朝陽により作られた陰影は、脳が作り出したとは思えぬリアルさを持っていた。

汐の身を包んでいるのは、紺の生地に白いリボンが特徴の、幼稚園のあの制服。
白を基調とした青いラインの入った帽子。
帽子の下から覗く髪の毛の色は、渚譲りの亜麻色。
一直線に俺を見つめるその瞳は少したれ気味で、それも渚譲りの瞳であったことを思い出す。

汐が、そこにいる。
滲み出る生気を惜しげもなく発散させている汐が、そこにいる。
カーテンの隙間から差し込む朝陽を半身に浴びて、その無垢な瞳は寝起き姿の俺を真正面から見つめていた。

「・・・汐?」

呼びかけてみた。
空気が僅かに震える。
しかし汐は俺の呼びかけなど聞こえなかったように、何の反応も示さない。

そうやって俺が呆然としていたのは、どれだけの時間だったろう。
きっと数秒にも満たなかったに違いないが、それでも怒涛のような衝撃に翻弄されている俺にとって、その数秒は途方も無く永い時間に思えた。

ふいに、汐が歩き始めた。
一歩一歩、確かな足取りで歩いている。
汐がひとつ歩を進めるごとに、周りの空気が絡め取られている様まで見えた気がした。
そして俺の隣まで歩いてきて、そこで止まる。
いまだ布団から上半身を起こしただけの俺の顔を、汐が見つめている。
真正面から、俺の顔を見つめている。

「・・・汐?」

もう一度、問いかけてみる。
声が涸れていた。
単語が正しく相手に伝えられたか自信がない。

俺の呼びかけにやはり何の反応も示さぬまま、俺は右手を上げる汐の動作をまじまじと見つめていた。
そしてその振り上げた右手は、ぺちんと、俺の頬を弱々しく叩いたのだ。
予想外の展開に呆気に取られる俺。痛みにも届かぬむず痒さを頬に残して、汐は続ける。

「いつまで、そこでグズグズしてるの!」

声帯の育ちきらない愛らしい声で、そう一括される。

「もう大人でしょ!いつまでも情けないことしてないで、シャキッとしなさい!」

ガツンと、ハンマーで殴られたような衝撃だった。
脳を直接揺さぶるような眩暈に襲われ、頭の中で鉛が乱暴に跳ね回っているような気さえした。
あれほど会いたいと願っていた汐。あれほど抱きしめたいと望んでいた汐。

その汐が今、目の前にいる。

それなのに、俺は目の前の汐を抱きしめることができない。
あれから何も変われずにいる俺を、いつまでも汐を喪失した悲しみにズルズルと引きずられている俺を、情けないと一括した汐。

本当の悲哀の極致にいるのは汐の筈なのに。
人生の楽しみなんて何も知らずに逝ってしまった汐。
美味しいものを食べさせてやることもできなかった。
色々な所へ連れて行ってやることもできなかった。
数年もすれば恋も経験できたろうに、それすら叶えることができなかった。

そうやって汐への罪業と哀愁を抱えたまま、過去への悔恨に苛まれるだけの日々を過ごしてきた俺が、今の状態を情けないと一蹴する汐を抱きしめることなど、出来る筈もなかった。

「凪(なぎ)!」

慌てた様子で玄関に飛び込んできたのは、芳野さんだった。
後ろには公子さんもいる。

「ダメじゃないか凪!
 いきなり走るからどこへ行ったのかと思ったら、ここにいたのか!」

芳野さんの声音は心痛のそれに染められていた。

「凪、ここはお父さんがお仕事でお世話になっている人の家なのよ?
 勝手に入ってはだめでしょう?ホラ、お兄さんに謝りなさい」

公子さんが昔と変わらない優しい抑揚で、凪と呼ばれた少女を諭している。

「すまないな、岡崎」
芳野さんが後を続ける。
「お前を迎えに行く途中で娘が突然走り始めてな。
 まさか勝手にあがりこんでしまうとは思わなかった。
 気を悪くしたなら許してくれ」

ああ、そうか。
そうだったのか。
この子は汐ではなく、この子が芳野さんたちの娘だったのか。
渚譲りだと思っていた亜麻色の髪は、よく見れば少し黒味がかった茶色で、それは公子さん譲りの髪だとわかった。
少したれ気味の目も、公子さんの娘だと思えば納得できる。

この子は、汐ではない。

奇跡が生んだ幻でもなければ、一刹那の邂逅でもない。
だけど、この出会いは。

「・・・う、うわあああああああああああああああああ!」

泣いた。
泣きながら、目の前の少女を抱きしめた。

何かが俺の中で壊れかけている。
いや、壊れているのではない。
意固地になって凝り固まっていたものが、ようやく解けかけているのだ。
この出会いでもたらされた言葉と、その言葉による衝撃。
そして凪との邂逅という奇跡によって。
俺の中で、何かが確かに変わった。

「・・・そうだな、そうだよな。おじさん、・・・情けなかったよな」

涙で喉の奥を締め付けられ、苦しさに喘ぎながらそう言葉を紡ぐ。
昨夜流しつくしたと思っていた涙が、止め処なく次から次へと溢れてくる。
しかしそれは、悔恨と寂寥の落涙ではなく。

「おじさん、もう大人なのにな。
 ・・・なのに、いつまでもグズグズしてたらダメだよな」

それは過去の罪業を許され、救済を認められたことによる涙だった。

「・・・ごめんな、いつまでも情けない大人で、ごめんな」

心に沈殿していた自責の念が、言葉となって溢れてくる。

「・・・ずっと後悔してたんだ。
 もっと愛してやればよかった、
 もっと色々な所へ連れて行ってやればよかった、
 もっと俺がしてやれることがあったんじゃないかって。
 ・・・ずっとずっとそればっかり考えてて、本当にそのことしか考えてなくて・・・、
 でも、それじゃあダメだよな。
 そのままだとずっとダラダラしてるだけで、前に進めないもんな。
 おじさん、お前に言われるまで気付かなかったよ。
 ありがとう、気付かせてくれて。
 だからこれからはちゃんとしっかりするよ。
 大人らしく、しっかりするからさ。
 ありがとう、本当にありがとう。
 それと、ごめん、気付かなくて、気付けなくて、ごめん、本当にごめんな・・・」

声は涙に曇り、視界は朧気に震えている。
腕は凪の体を抱きしめ、言葉は謝罪のそれだけが延々と繰り返される。

この狭い1Kの部屋の中に4人もの人間がいるのに、言葉を発しているのは俺だけだった。
この安アパートの一室に、ただ俺の号泣と謝罪の言葉だけが響いている。

ごめんな、ごめんな。

それ以外の言葉を忘れてしまったかのように、俺はただ謝罪だけを繰り返していた。

「・・・いいよ、凪が許してあげる。おじさんのこと、許してあげるよ」

そう言いながら、凪は俺の髪をそっと撫でてくれた。
抱きしめる俺の力はきっと強すぎるだろうに、目の前の少女はそれに対して何も不平を漏らさず、ただ俺の感情に身を委ねて、そして傷をも癒そうとしてくれている。

少女の小さな手は、暖かかった。
髪の毛越しに感じる少女の手が、心地よかった。
髪を撫でられるという行為が、これほど安心感を得られるのだということを、俺は初めて知った。

腕の中の凪。髪を撫でてくれる凪。
俺という存在を全て包んでくれるかのような少女の存在は、俺に確かな変革をもたらしてくれた。
窓から差し込む朝陽を浴び、凪の存在を体で感じながら、俺は時が進み始めるのを感じていた。

ゆっくりと。
だが、着実に。


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