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国のためではない、愛する人のために散っていった特攻隊員たち「永遠の0」

永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

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百田尚樹氏の「永遠の0」を読んだ。面白かった。

この永遠の0という作品は、太平洋戦争という
日本史上未曾有の惨禍に巻き込まれた青年たちの物語です。
太平洋戦争は侵略戦争だったとか、
アジア解放の意義があったとか、
そういう政治的な意味合いはこの物語の中では問われません。
この小説の主人公は、歴史の渦に巻き込まれたごくごく普通の日本人青年たちです。

そのなかでも特にクローズアップされているのが、
特攻隊員として散華した若者たち。
ほんの1年前までごく普通の若者として生活していた青年たちが、
ある日赤紙ひとつで恐ろしい戦争へ身を投じなければならなくなってしまいます。

九死に一生、という言葉があります。
決死の覚悟、という言葉もあります。
それが戦争である限り、死を覚悟して敵機を迎え撃つのは軍人として理想の姿でしょう。
例えそれがつい1年前まで一般人だった青年としても、同じかもしれません。

しかし、それが特攻となれば話は違います。
特攻は十死零生です。
一度出撃すれば彼らを待つのは「死」以外何もありえません。
国を守るために死を覚悟して戦うことと、
国のために文字通り「死ぬ」ことは根本的にまったく違うことなのです。

一度出撃すれば絶対に助からない作戦を前に、青年たちは大いに苦しみます。
悩んで、苦しんで、葛藤して、しかし最期には達観して、
「お国のために」と言い残して必死の作戦へ身を投じるのです。

彼らは泣き叫んだりしませんでした。
苦悩を遺書に書き残したりもしませんでした。
そのようなことをすれば、軍部に検閲されたときに
「非国民」「軟弱者」のレッテルを貼られてしまうこともあったでしょうが、
それ以上に、死にゆく息子が死の間際まで嘆き、葛藤し、苦悩していたことを
両親が知ったとき、どれほど悲しむことだろうと想像した青年たちは、
文字通り最期の親孝行として
「お国のために悔い無く死んできます」
とだけ手紙に書き添え、太平洋の海に散っていったのです。

しかし彼ら特攻隊員の家族が戦後に迎えた運命はあまりに悲惨でした。
その一例を本書のなかからご紹介しましょう。

戦時中、特攻隊員として散華した青年たちは英霊として祀り上げられ、
一時は人々から英霊の親族としてもてはやされていました。
しかし戦争に負け、アメリカの戦略により民主主義へ転換されてからは一変、
元兵士とその親戚は戦争犯罪人として差別され、
とりわけ特攻隊員にいたっては彼らの墓を建てることすら許されませんでした。

特攻隊員第一号である海軍の関行男大尉は、母ひとり子ひとりの家庭で育ちました。
関大尉は特攻第一号だったこともあり、戦時中は軍神として日本中にその名を轟かせました。
しかし戦後の民主主義になってからは戦争犯罪人の母親として差別されて、
行商で細々と暮らし、最後はとある小学校の用務員としての職を得たといいます。

しかし身寄りのないお母さんは用務員室で、
たった一人ぼっちの寂しい死を迎えます。
そんなお母さんは、最期にこのような言葉を遺しました。

「せめて、行男の墓を……」

お母さんの無念、悔しさ、口惜しさたるやどれほどのものだったことでしょう。

戦争とはかくも残酷なものです。
そのなかでもとりわけ、特攻は国民に対する犯罪と言って差し支えない作戦と言えるでしょう。
特攻よりも大きな被害をうけた作戦は世界中にたくさんありますが、
これほど「人間」の尊厳を軽視した作戦は、もはや作戦ではなく暴挙なのです。

戦争の痛み。
特攻の悲しみ。
死というものがあまりに身近にありながら、
それでも近しい人を守るため散っていった若者たち。

この「永遠の0」という物語は
戦争というものがもつ凄まじい痛みを
生々しく、鮮烈に描ききった素晴らしい傑作と言えましょう。

戦争世代が少なくなってしまい、
その生の声を後世に伝えることが難しくなってきてる昨今だからこそ、
ぜひ読んでいただきたい一冊です。
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