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初音ミクSS「君の心は、そこにある」第五章~涕涙~

正徳二十年(西暦二〇〇八年)八月九日(土)[8]


星登は矛盾する回答を出してしまったことにばつの悪そうな表情を浮かべる。

それを見て文代は満足そうに頷いた。



「そう、そうだよね、それで良いのさ。

 心なんてのはね、深く考えてみなければ『あるかどうかすら意識しない』程度のものなんだよ。

 緒方さんが奥さんとの結婚を決めたのだって、

 彼女に『心があるか』なんて意識しなかっただろう? 

 つまりさ、心があるかどうかなんて全然重要じゃないのさ」



『心があるかは重要ではない』





それは体の奥底にずしりと響いてくるような、圧倒的な重みを伴う言葉であった。



「で、でも、それじゃあ、僕はミクの何を信じれば良いんですか?

 彼女の何を信じて愛せば良かったというんですか?」



「それだよ緒方さん。あんたはそこからもう勘違いしてしまっているの」





文代は穏やかに指摘する。



「何を信じれば良いのかが問題じゃないのさ。

 本当に大切なのは、相手を信じようという覚悟こそが重要なんだよ」





文代はたおやかな微笑みを浮かべたまま、星登を導こうと言葉を紡いでいく。



「そもそも相手を信じるっていうのはさ、理由や理屈じゃないんだよ。

 緒方さんだって、初対面の人を生まれや肩書きだけで

 おいそれと信用することはできないだろう? 

 人を信じるというのはさ、その人と一緒に過ごして、

 その人の行動や言葉をゆっくりと噛みしめて、

 そうして信じることができる人格なのかを『自分の心が』判断する。

 それが人を信じるということなのさ。

 緒方さんはミクちゃんと一緒に過ごして、あの子の素直で素朴なところに惹かれたんだろう?

 それならさ、ミクちゃんのことを好きになったという『自分の心』こそを信じるべきなんだよ」





文代の言葉は、星登の胸中にゆっくりと浸透していくようだった。



「あんたも覚えてるだろう?

 ミクちゃんはさ、この庭で花を愛して、

 子供たちを愛して、街の人たちと交流を深めていたんだ。

 そこに心があるかどうかなんて関係なく、ただみんなを愛して、みんなと笑い合ってた。

 それでも、緒方さんはミクちゃんを信じることはできないかい? 

 あの子を信じるだけの覚悟を固める事ができないかい?」





文代の言葉は痛烈な問いかけのようでありながら、

しかし善導の響きは決して失わず、ただ星登とミクの心を肯定する温かな情に溢れていた。



「ねえ緒方さん、あんたはさ、せっかくミクちゃんのことを好きになれたのに、

 あの子に『心』があるかどうかで迷ってしまったと言うけどさ、

 でもね、ひとつだけ確かなことがあるよ。

 学のない私には、ミクちゃんの『ココロ』が人間の『心』と

 本当に同じ物なのかどうかはわからないけど、

 それでもあの子が緒方さんに向けていた想いは本物の恋だったこと。

 それだけははっきりと断言できる」



「……それは、どうしてですか?」





文代はふっと慈しみに満ちた微笑みを向けると、静かに告げてみせた。



「あの子はね、自分こそが緒方さんを幸せにしてあげたかったって、

 泣きながら訴えたんだよ。

 緒方さんの子供を産む事ができない、自分には緒方さんを幸せにしてあげる事ができない、

 だから二人が結婚することは、緒方さんにとって最良の選択なんだ、

 ここは自分が身を引くことこそが最良なんだって、そう言いながら泣き崩れたよ。

 ……相手の幸せをあれほど純粋に願って、

 そして自分こそが誰よりも幸せにしてあげたかったなんて強いエゴまでみせてさ、

 それを恋と言わずに何て呼ぶんだい」



「……」





星登は、もはや何を言うこともできなくなっていた。

文代の言葉ひとつひとつが星登の体のすみずみまで染み渡っていくようで、

星登の体内にたゆたっていた悩みも、不安も、むなしさも、

何もかもが洗い流されていくような気分だった。





そうして星登の心に残されたのはある種の決意であった。





己の心。

星登の罪。

ミクへの想い。

彼女の哀しみ。





あまねく想いのすべてを飲み込んで、星登はようやく決然とした覚悟を心に宿した。

それと同時に確かな意志が体中を駆け巡って、

苛烈ともいえる力すら漲っていくのを感じたのだ。



「……大家さん、僕は、」





そうして己の決意を口にしようとしたとき、庭の入り口から誰かが声をかけてきた。



「あのお、すみません」





どこか間延びした声音に星登と文代が振り返ると、

そこにはスーツの上着を脇に抱えて、

ネクタイを緩めながら額の汗を拭っている中年の男が立っていた。



「こちらのアパートに緒方星登さんがお住まいだと聞いて伺ったんですけどね、

 どうやらご不在のようでして……いつごろ戻られるかわかりますか?」





星登は自分を名指しされたことで警戒心を強めた。

もしやマスコミによる取材という名の魔女狩りかと嫌気が差す思いだったが、

星登はその男へ名乗り出た。



「緒方星登は僕ですが、あなたは?」



「おお、おお、あなたがあの緒方星登さんでしたか。

 いやいや、これは失礼いたしました。

 私はですね……えっと、名刺はどこだっけな……

 ハハ、職業柄なかなか名刺交換する機会もなくて、不慣れで申し訳ありませんね……」





言いながら男はズボンや上着のポケットをひとつひとつまさぐっていく。

そうして上着の胸ポケットの中から名刺入れを取り出した。



「やあ、あったあった。どうぞ、お受け取り下さい」





男から名刺を手渡される。

そして星登は名刺に書かれた社名を読み上げて瞠目した。



「クリブトン社? クリブトン社って、ミクを作ってるあのクリブトン社ですか?」



「ええ、そのクリブトンです。

 で、私はその〈初音ミク〉を設計・開発した、剣持日出樹と申します。

 実は折り入って緒方さんにご相談がありましてね……」



初音ミクSS「君の心は、そこにある」八月九日[9]へ


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