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夏コミ新刊入稿しました

はい、タイトルのままです。
だいぶ前の話ですが艦これ小説を入稿せしめました。
ちなみに表紙絵はこちら。

わたもの表紙

この素敵すぎるイラストは今回もゆかこさんが手がけて下さいました。
もちろん、今回も内容にはゆかこさんの挿絵が満載なのでぜひ楽しみにしてください!

ちなみに今回、おいらは1日目東F28bのスペースでお待ちしております。
ぜひお立ち寄りを!


■方法序説(ルネ・デカルト)


総評:★★★★☆(4点)

我思う、故に我あり。

あまりにも有名過ぎるそのフレーズが初めて世に出たのが、
デカルトが著したこの方法序説という書。

まぁ厳密に言うと、方法序説とはそういうタイトルの本ではなく、
医学や物理学などデカルトの研究の集大成となる書の一番最初に付された章がこの方法序説で、自分が研究してきた内容の概要や研究に至った経緯などが記されてます。

でーその物理学や医学書の内容はやはり誤りも多く、現代の我々から見れば夢想とも言える内容です。
例えばデカルトは、生物には心臓という器官があり、その心臓から全身に血液を流し出してるということまで突き止めています。
しかし、なぜ心臓という小さな器官が全身に血液を送り出せているのか、どういう原理が働いているのか、という部分の考察が現代から見るとちょっと想像の域を出ていないというのが正直なところ。
というのもデカルトは、心臓が他の器官にくらべて温かいことに着目したんです。
心臓が温かいということは、それにより血液も温められるはず、血液は液体なので温められればその分膨張する、その膨張により全身に血液が送り出されるのだ、と。
こういう理屈なんです。

しかしこれが誤りであることは皆さんもご存知のことでしょう。
だけどこれは仕方の無いことで、人間の体の仕組みはすべて化学的反応により成立しており、化学は19世紀に入っていっきに華開いたんですね。
デカルトが生きた1600年台中盤とはまだニュートンが生まれてすらいない時代であることを考えると、心臓から血液を全身に送り出している、という見地を明確にしたことだけでも驚異的な知見の広さと言えるでしょう。


しかし本書が本当に素晴らしかったのはその第一文です。
ここにその一文を転記しましょう。

良識はこの世でもっとも公平に配分されているものである。
(中略)
正しく判断し、真偽を弁別する能力──これがまさしく良識、もしくは理性と呼ばれているところのものだが──は、生まれながらに、すべてのひとに平等であることを立証している。



これをもうちょい噛み砕いて言うと、

「知性は全ての人がもっているんだ。
 だから偉い人の言葉を鵜呑みにするんじゃなくて、みんな自分で考えて判断しようよ」

と言ってるんですね。
で、その後の本文の中では

「世の中の常識を疑おうよ。
 本に書いてあるから、昔の偉い人が言ってたから、とかじゃなくて、
 疑って、自分で検証し、ときには実験して、
 本当に正しいかを自分で判断しよう」

と繋がっていくわけです。

これは当時のヨーロッパ社会では大変な主張だったんですね。
というのも、ガリレオ・ガリレイと同時代だったといえば伝わると思いますが、とにかく当時は教会が絶大な力を持っていて、彼らの言うことこそ絶対的な真実だったわけです。
聖書に書いてあることが真実であり、物理的真理はプラトンやアルキメデスがすべて探求し尽くしており、それを覚えることが勉強であり研究というものだったのです。
そしてこういった知的活動はごく一部のものしかできない専門職であり、教会の人間にしかできないものと考えられてました。
つまり当時の社会は
「庶民たちは教会の人間の言うことだけ聞いてれば良い。
 庶民に聖書の内容や古代物理学の真理は理解できないだろうから」
という考え方が主流で、教会の既得権益が凄まじいものになっていたんですね。

そこへデカルトが空気を読まずに
「いやいや、知的活動は一部の人間の特権なんかじゃないよ」
と主張したのですから、それはもう勇気のいったことと思います。
(実際、やはりというか、この本はその後禁書扱いにされてるようですし)


さてさて、デカルトはそこで一般人へ啓蒙したところで、方法序説はさらに科学、数学、そして哲学の領域に踏み込んでいきます。

数学、とりわけ幾何学には公理というものがあります。
公理とは「別に説明しないけど、これが正しいことはみんな受け入れられるよね?」という「明らかすぎて説明できない」ものを言います。
例えば図形問題でいうと、
「二つの点を直線で結ぶことができる」
とか、
「一つの点を中心とした円を描くことができる」
とか、こういった主張が公理にあたります。

では、哲学における公理とはなにか?
なんの説明もなしに、しかしみんなが受け入れることができる公理とは?
疑う余地なしに全員が「正しい」と呼べる公理はないだろうか、とデカルトは考えるわけです。

しかしどんな案を考えても、それは疑うことでほとんど否定できてしまうわけです。
例えば「人間という存在」について考えたとき、
「ものを見て考えることができれば人間だ」
と仮定しても、
「今見えているものが幻でない可能性はないのか?」
と反論されるし、
「自分で考え行動しているものは人間といえるだろう」
としても
「それはよく訓練された機械かもしれない」
と反論できます。
そもそも、
「自分の身体は本当に自分のものなのか?」
と疑うことだってできます。

そうやってすべてのものを疑いに疑い続けていくと、最終的に「自分の存在を疑ってる自分」に行き着くわけで、これは「自分を疑う自分」の存在は疑いようがなくそこに存在している、ということを示してるわけですね。
したがってデカルトは「人間という存在」「自己存在」というものについて、その公理を「『自分の存在を疑う自分』は確かに存在する」として、これを真理への第一歩としよう、と提案したわけです。
残念ながら、この方法序説ではそこから自己存在への言及はされていませんでしたが、この第一歩こそ哲学史における偉大な一歩だったんですね。


とまあ、デカルトによる偉大な書物を読み終えたわけですけど、そもそもなぜこの本を読もうと思ったかといえばそれは「スワロウテイル/初夜の果実を接ぐもの」において揚羽が勧められていた本の1冊目がこれだったため読んだにすぎず、何か高尚な理由があって読んだわけでないことを明記しましょう。



でー本当なら次は揚羽にならってカントの純粋理性批判とか読みたいなと思ったんですけど、こちらは恐ろしく難解のようなのでやっぱり諦めることにします。無念。
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