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魅音SS「変わらぬ想い」 #06/15

1988年2月13日 午後8時 圭一



時計の秒針が、妙に耳にうるさい。
風が窓を揺らす音も、圭一の気を散らせるには充分だ。
参考書のページは一向に進まず、ただいたずらに時計の長針だけが周回を重ねている。
自室で机に向かう圭一の脳裏には、参考書の内容など一文字も入ってこない。
なんとか意識を勉強に向かわせなければと、マグカップのコーヒーに口を付ける。
しかし唇を濡らす程度にしか口を付けてこなかったコーヒーも、とうとう底をついてしまった。
新しいコーヒーを入れるために一階へ降りようかとも考えたが、やめた。

突然、全てがどうでもよく思えてきた。
手に持っていたシャープペンを机に放り、思い切り後ろに反り返る。
体の節々が伸びて、脳に新鮮な空気が送り込まれるようだ。

今夜の勉強は、これで終わりにしよう。
シャープペンを筆入れに収め、参考書を閉じ、ノートをカバンにしまってしまう。
そうしたところで、先ほどまであれほど忌々しかった時計の秒針が、なんてことはない無機質な音に変貌した。
まったく、俺も単純だ。
そう自嘲気味に笑うも、心はまったく晴れなかった。

自分が勉強に集中できない理由はわかっていた。
そんなこと、わかりきっていた。
時計の針がうるさいからでも、窓の音が鬱陶しいからでもない。
1ヶ月前の、レナへの告白。
すべては、それが原因だった。

共通一次試験の日。
俺とレナは、同じ大学を第一志望としていた。
二人とも一緒に合格できることを祈りながら。
それが現実となるように、最善の努力をしながら。
俺たちは共通一次試験の日を迎えたのだ。

そして試験を終えた俺たちは、意気揚々と帰路を辿る。
最初の試練とも言える共通一次試験を無事に超えることができて、それまで張り詰めていた緊張から一時的に解放され、少し気が緩んでいたのかもしれない。
俺もレナも、大学に合格したときの、未来の話に花を咲かせていた。

採らぬ狸の皮算用とはよく言ったものだ。
俺たちは東京の下宿はどこを借りようとか、最初にどこへ遊びに行こうとか、雛見沢へは年にどれくらいの頻度で帰ってこられるだろうかとか、迎えられるかどうかすらわからない未来に想いを馳せていた。

だけど。

迎えられるかわからない未来だからこそ、「if」の未来は魅力でいっぱいだった。
俺たちの未来は、ifの世界は、希望に溢れていた。
やりたいことは沢山あったし、学びたいことも沢山ある。
それらひとつひとつを口に出すだけで、俺たちの表情は自然に綻んでいく。

周りから見れば、それは大空を見上げて足下の水溜りに目を向けない、本末転倒の会話に聞こえたことだろう。
だけど当時の俺たちにとって、その会話は、未来への希望を口にすることは、次の試練への活力だった。
共通一次試験は、ただの通過点。
今日という日は無事に終えられたけど、また今夜から次の試験へ向けて勉強しなければならない。
そんなことはわかりきっている。
だからこそ、試験を終えたばかりの今だけは、フッと一息だけついていたい。
そんな想いが、俺とレナの空気には満たされていた。

俺たちの会話は、絶え間なく続いた。
ひとつの夢を語りきっても、次の夢を語りたくなる。
相手の夢を聞いていると、自分の夢も語りたくなる。
俺たちの夢と未来は互いに絡み合って、連鎖のように繋がれていった。

だからなのかもしれない。

俺はこのときほどレナの存在を近しいと感じたことはなかった。
俺が描く夢も、レナが描く未来も、互いの存在が近くに在ることを前提として紡がれている。
別々の絹糸を巧みに織り上ることで美しい光沢が生み出されるように、俺たちの未来も、互いの存在なくして輝きを得ることなどありえなかった。

それは、レナも感じていたことなのだろう。
興宮からの帰り道、レナの家を目視で確認できるほどの道中で。
レナはこんなことを言った。

「大学に行っても、今までと同じように、楽しくなると良いね」

それはきっと、これまで過ごしてきた幸せを、これからも享受したいという願望だったのだろう。
これまでと変わらぬ幸せを、ずっと感じていたい。
それこそレナが描く未来であり、夢であり、願望だった。

だけど、俺にとって。
今までとは違う未来を夢見た俺にとって、その夢は賛同しかねるものだった。

俺が描く未来は、これまでとは違う幸せ。
共に未来を歩むパートナーは一緒でも、歩幅が違う。
今までは各々が好き勝手なペースで歩いていた道を、これからは互いのペースを気遣いながら歩んでいきたい。
それこそが、俺が本当に過ごしたいと思う未来の本質だった。

だから、レナの言葉に続いて発した、俺の言葉は。

「大学に行っても、俺は、『レナと』ずっと一緒にいたい」

意味合いは、レナのものと似通っていたかもしれない。
だけど、その言葉に込められた意図の分だけ、重みが違う。

レナもこの言葉の真意に気づいたのだろうか。
先ほどまでの屈託ない笑顔の上に、驚きのそれが微かに浮かぶ。
だけど俺はここで言葉を切らず、心の底に沈められた真意を風に乗せた。

「俺は、レナのことが好きだから」

遠くに見える山裾は夕日の朱に染まり、道端の雪もほんのりと紅をさしている。
山から吹き込む北風は俺たちから体温だけでなく、音そのものも奪い去ってしまったかのように、重い沈黙をもたらした。

頬と耳に冷気が刺さる。
心の底に押し込んでいた気持ちを、風に後押しされた形で口にしてしまった、俺の告白。
自分でも驚くくらいに、冷静な気持ちを保ったままの告白だった。

そんな、準備も後先もなにも考えず、ただその場でおもむろに、一方的に告げた想い。
その告白から、一ヶ月が過ぎた。
あれからレナとは、ほとんど口を利いていなければ、顔も合わせていない。
学校でも予備校でもクラスが違うため、告白する以前から平日に顔を合わせることは少なかったが、これほどの長期間、顔を合わせすらしないのは珍しかった。

・・・フラれたんだろうな。
どこか自分のことを客観的に見ている自分が、こともなげに呟いた。

いや、まだレナの気持ちをちゃんと聞いていないだろう。
あんなに仲が良かったじゃないか。
望みはあるのだから、レナに確認をしてみろよ。

失恋したという現実を受け止めきれない自分。
フラれたという恥ずかしさに耐えられない自分。
そんな「弱い」自分たちが、何とかわずかな可能性にすがろうとしている。
でも、わざわざそんなことをする必要があるのか?
もう一ヶ月だ。
一ヶ月もの期間、レナから返事をもらえていないのだ。
いや、それどころか、レナと会話すらできていない。
・・・それはやはり、明らかに避けられているということではないのか。

布団の上に勢いよく倒れこみ、大の字で仰向けになる。
柔らかく温かい感触に身をゆだねながら、視界を支配する天井を凝視してみる。
何年間も見続けてきた天井のシミと模様に焦点が合わず、脳を揺さぶるような錯覚を覚えた頃。
自分はどこかで、「レナも俺のことが好きなのではないか」という自惚れを持っていたことを自覚した。

俺の告白を、受け入れてくれると期待していた。
いや、あれは期待などという不確かな想いではなかった。
あの強い自信は、「確信」と呼べるものだった。

確かに告白そのものは、自分でも予期していなかったくらいに、唐突なものだった。
でも普段から、いつ告白しても成功するに違いないという自惚れは、心のどこかで抱いてたのだ。

だから、変えられるものならば、変えたかった。
俺たちの関係を。
今までの「気の置けない友人」ではなく、「思い出を共有できる恋人」に。
その一歩を踏み出すタイミングが思いの外早かっただけで、俺が告白するのは時間の問題だったのだ。

カッコ悪いなぁ、俺・・・。

うつぶせになり、顔を布団に押し付けながら、自虐気味に呟いてみた。
好きな女の子に対し、女の子も自分のことを好きなのだろうと予想しながら、告白して玉砕。
典型的な自意識過剰男の出来上がりだ。

これから俺たちは、どうなるのだろう。
今までのような、何でも言い合える関係に戻ることは、もうできないのだろうか。
漠然と、そんな不安を脳裏に置いてみた、そのとき。

コツン、と。

窓に何かが軽く当たったことに気が付いた。
最初は気のせいなのかと思って無視した。
しかし、また石がコツンと当たる。
どうやら誰かが意図的に小石を投げているらしいと気が付き、窓を開けて確認した。

そこに、人影がいる。
その人影が誰のものなのかを確認しようと目をこらすが、街灯がもたらす光の範囲から外れているため、その人影は輪郭しか確認できない。
だけど、その人影には見覚えがあった。
女性らしい丸みを帯びた輪郭。
そして肩で切りそろえられた髪の毛。

もしかして、あの人影は・・・レナ!?

俺は着の身着のままで部屋を飛び出し、ドタバタと派手な音を撒き散らしながら一階へ降りた。
これから屋外へ出ようというのに、今の自分はあまりにも寒さに無防備な格好だったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
ただ、早くレナに会いたい。
それだけが俺の心を逸らせて、冷静な判断など付くはずも無かった。

玄関の扉を開ける。
瞬間、痛みを伴う寒気が全身を襲うが、そんなのには構っていられない。
俺は辺りを見渡して、先ほどの人影を探してみる。

・・・いた。

雪に足元をすくわれながらも、何とか人影の元へ歩み寄る。
サンダルを履いただけの素足に雪が入り込み、刺すような冷たさが足先を容赦なく襲う。
しかしそのような障害など気に留められないほどに、気ばかりが急いていた。

「・・・お、お待たせ」

あまりにも間抜けな第一声。
あれほど会いたかったレナにようやく会うことができ、しかし最初にどのような声をかけるべきか戸惑うばかりの俺。
そんな俺ができたことといえば、結局、照れ隠しに笑ってごまかしながらの挨拶だけだった。

急いていた気を落ち着かせ、腹にたまっていた息をゆっくりと吐きつくし、視界から白い息がかき消された頃。

ようやく、俺は異変に気づいた。

二階の自室から見たとき、確かにこの人影はレナだと思っていた。
しかしそれは暗がりの中での判断だ。
そもそもレナだと判断した最大の要因は、この髪の長さ。
俺の知り合いで、こんな時間に俺の家を訪れる理由を持ち、そしてこの髪型を保っている妙齢の女性といえば、レナしか思いつかなかったのだ。

しかし彼女は、レナではない。
明らかに、レナではない。

「お、お前・・・」

レナではない、妙齢の女性。
俺が、彼女を見間違えるわけもない。
ただ今回間違えてしまったのは、あの象徴的とも言える長い髪の毛が、バッサリと短くなっていたから。
こうして彼女の顔を見れば、わかる。

この勝気な目。
この挑戦的なまなざし。
己の実力と裁量に裏付けられた自信に満ちる、その瞳。

たとえ髪の毛が短くなっていようと、彼女の目を、特徴的なまなざしを、俺が忘れるはずもなかった。

「お前・・・魅音か?」

彼女の名をつぶやく。
寒さのせいか、驚きのせいか。
喉から出た声は語尾が微妙に震え、俺の気弱さを悟られやしないかと的外れな不安を抱く。
次に発する言葉は震えないようにしようと、今から腹に力を込めてみた。

そんな俺の言葉に対して返ってきた、魅音の言葉。

「へへ、圭ちゃん・・・びっくりしたかい?」

あの挑戦的な目から一瞬だけトゲが取れて、いたずらっぽい表情に代わる。

「小さい頃からずっとあの長い髪だったからね。圭ちゃんが驚くのも無理ないよ」

いたずらっぽく笑いながら、短くなった髪の毛の先を指先で遊ぶ魅音。

その言葉も、その仕草も、実に自然だった。
だけど、自然だったから、あまりに自然すぎたからこそ。
逆にその裏側の真意を疑わずにはいられない。

風が雪を運び、俺たちの体温を奪おうと容赦なく吹き抜けていく。
いつもならば強くなびく魅音の髪の毛も、肩までの長さしかない今、どこか心もとない印象を受けた。

「魅音、お前・・・どうしたんだよ、一体?」

俺がその疑問を投げかけることを、誰が責められるのだろうか。
背中まで伸びていた髪の毛を、バッサリと肩で揃えた真意。
こんな夜間に俺の家まで訪れた、その思惑。
二重の疑問を手っ取り早く解決したいという、俺の心情を反映させた、その曖昧な質問。

それに対する、魅音の答えは。

「へへ・・・圭ちゃん、こういう髪型、好きなんでしょ?」

その言葉は、控えめなはにかみと共に紡がれた。

「はぁ?お前、何言ってんだ?」

当然の疑問だ。
俺は今の魅音のような髪型が好きだと言った覚えは全然ないし、そもそも好きだと言っていたとしても、それを魅音が真似る必要は無い筈だ。

だけど俺のその思い違いは、ある大前提が抜け落ちていたために発生したものだった。
知ってしまえば、何ということもなく説明できてしまう、大前提。
しかしこのときの俺が知る由も無い、ある大前提。
それは。

「だって圭ちゃん、レナのことが好きなんでしょう?」

ひとつは、俺がレナのことを好きだと告白したこと。

「私は何でも知ってるよ?
 圭ちゃんが誰のことを好きなのか、いつレナに告白したのかも」

もう一つは、告白したことを魅音が知っているということ。
そして、最後のひとつは。

「だからね、私もレナと同じ髪型にしたの。
 圭ちゃんの好きな、レナと同じ髪型に」

魅音の好いている相手が、俺だということ。

「ねぇ圭ちゃん、これで私のことも好きになってくれるよね?
 だって私だってレナと同じ髪型にしたんだもの。
 これでレナとの間に違いなんてないでしょう?」

俺は、ある種の強い戸惑いを感じていた。
魅音が俺に好意を向けてくれているという事実に対して、ではない。
もっと強い、言うなれば執念とも言える強い想いに対しての、戸惑いだった。
このときの戸惑いは、どこに表れていたのだろう。

カチカチと噛み合わない歯。
感覚を失った肌。
握力を伴わぬ指先。

・・・違う。
それらはどれも違う。
これらは単に、その場の寒気によってもたらされた、生理的現象。

だから、俺の戸惑いを端的に表したのは。
強烈な寒気の攻撃にもかかわらず、強く俺の戸惑いを押し出した器官は。

それは、目だった。

「ねぇ圭ちゃん、これでもまだ駄目なの?
 髪型を一緒にしただけじゃまだ駄目なの?
 服装もレナと一緒じゃなきゃだめ?
 うんわかった。
 だったら明日からは、圭ちゃんの好きなスカートを履いて圭ちゃんを迎えに来るよ。
 レナみたいに」

なぜなら俺は、見てしまったから。
真正面から、まともに、それを見てしまったから。

「あれ?それでも駄目なの?
 じゃぁ喋り方もレナと一緒じゃなきゃだめ?
 今までみたいな友達感覚の喋り方じゃなくて、レナみたいな、鼻にかかったような声でしゃべらなきゃ駄目なのかな?
 うんわかった。
 だったらこれからは私もレナと同じ喋り方にするよ。
 語尾も2回繰り返すようにすれば良いんだよね?
 レナみたいに」

りんごのように瑞々しかった唇が、いまや水気を失ってカサカサに乾いてしまっている。
透き通るように滑らかだった白い肌は、寒さに青白く変色してしまっている。

だけど、俺をもっとも畏怖させたのは。

「ねぇ圭ちゃん。
 私、圭ちゃんのためなら何でもできるよ?
 圭ちゃんが望むなら何だって出来るし、何だってしてあげる。
 朝になったら起こしてあげる。
 お昼のお弁当も作ってあげる。
 夕方には迎えに行ってあげる。
 夜のお風呂では背中を流してあげる。
 そして寝る前にはエッチだってしてあげる。
 圭ちゃんが望むなら何でもしてあげる。
 レナにできないことでも、何だってしてあげるよ?」

魅音の、目だった。
俺は、魅音の目を真正面から見つめてしまった。
威厳すら感じられたあの瞳が、いまや血走らせて俺を見つめる。
奥底に自信を満たしたあの瞳が、いまや嫉妬を滾らせ濁っている。

「ねぇ圭ちゃん。
 これでもまだダメなの?
 レナとの違いなんて何もないよ?
 圭ちゃんが好きだと言ったレナとの違いなんて何もないよ?
 髪型も服装も喋り方も、圭ちゃんさえ望めば顔も体も全部レナと同じにしてあげるよ?
 ダメ?
 それでもダメなの?
 私はレナよりもずっと圭ちゃんのために尽くしてあげるよ?
 レナよりもずっと圭ちゃんに好きになってもらえるように頑張れるよ?
 レナよりもずっと圭ちゃんの望むことをしてあげられるよ?
 レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと、レナよりもずっと・・・」

壊れた機械のように繰り返される台詞。
もはや一片の生気すら感じられない表情。
そこには、俺が知っている魅音はどこにもいなかった。

闊達な立ち居振る舞い、明朗な生き様、快活な笑顔。
そのどれもを、今の魅音は捨ててしまっている。
そのどれもが、俺が好きだった魅音を象徴するものだったのに。

変わり果ててしまった魅音を前に、俺が抱いたのは戸惑いではなかった。
そんな生易しい感情ではなかった。
もっと切羽詰った、激しく渦巻く、黒い濁流のような感情。
それが、俺が抱いたものの、本当の姿。
それこそ、俺が自身の目に宿らせた、宿らせてしまった、本当の感情。

「ねぇ・・・圭ちゃん」

魅音が猫撫で声で、問いかけてくる。
魅音が上目遣いで、問いかけてくる。

それが、限界だった。

目に宿らせ、必死でそこに止めていた感情が、容量限界を越えて瞳から溢れ出てしまう。
そして溢れ出た感情は、そのまま口を通して排出されてしまった。
俺が必死に押し隠し、表に出すまいとしていた感情。
その名は・・・

「お前・・・何だか、怖ぇよ・・・」

恐怖だった。


魅音SS「変わらぬ想い」 #07/15

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