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初音ミクSS「君の心は、そこにある」第一章~蜜月~

    正徳一九年(二〇〇七年)八月三一日(金) 正午


目の前に、少女が佇んでいる。

瞼を閉じ、唇も締められ、じっとその場に佇んでいる。

年の頃は一六,七歳。

両脇で結ばれた長い髪は腰まで伸び、スカートから覗く足はスラリと細い。

きめ細かな肌は全身を白い透明感で覆い包み、

少女の柔らかな質感を豊かに演出している。

しかし少女の肌は体温を持たず、生気などまるで感じさせないほどに、その肌は冷え切っていた。



緒方星登(せいと)は、信じられぬ目で少女の姿をただ見つめていた。

雑誌広告などで知ってはいたが、未だに我が目を疑いそうになる。



これほどリアルな質感を持った女の子が、人工のガイノイドだなんて。



多少の後ろめたさを抱きながらも、そっと少女の頬に触れてみる。

柔らかい。柔らかくて、冷たい。

しかし少女にPLCケーブルで繋げられた、

電話帳ほどの大きさのヒューマノイド制御用マネージメント装置のスイッチを入れれば、

きっと彼女の肌は体温を持ち、

硬軟だけでなく熱感でも「人間」と区別できないほどの存在になるのだろう。



ごくりと生唾を飲み込みながら、星登は足下に置かれた装置のスイッチを入れた。

低い駆動音を発して装置が起動する。

そのまましばらく待ってみるが、装置表面に付けられたLEDランプが

ちかちかと目まぐるしく点滅を繰り返すだけで、少女への変化は一向に現れない。



装置は正常に稼働しているようだが、肝心のガイノイドは起動している様子がない。

PLCケーブルのコネクタの接触が甘いのかと顔を近づけたとき。



『マスター登録を行います』

「うわ!」



唐突に装置が声を発したため、思わず飛び退いてしまった。

少し大げさに驚いてしまったため、他に誰もいないと知りつつ、

狭い自室の中で照れ隠しに咳払いをしてみる。



『声紋識別を行います。マスターとなる方は、

 ご自分のお名前をフルネームでお答えください。

 なお、声紋識別を正確に行うために、

 お客様にはお名前を少なくとも3回お答えいただく必要があります』



装置から発せられる声は機械特有の無機質なものだった。

少女の口は少しも動いていないのに、どこかから声が聞こえてくるという現象が、

何とも非現実的で気持ち悪い。

星登は少女に顔を近づけ、なるべくゆっくりはっきりと自分の名前を告げた。



「緒方星登」

『もう一度、お願い致します』

「緒方星登」

『もう一度、お願い致します』

「緒方星登」

『声紋登録は無事に完了しました。オガタセイト様をマスターとして登録します。よろしいでしょうか?』

「はい」

『オガタセイト様のマスター登録は無事に完了しました』



目を閉じた無表情の女の子に向かって、

名前だけを連呼する姿が何とも滑稽であることに気がついてしまった。

見ている人間など誰もいないのに、どこかむず痒い恥ずかしさを持て余す。



『続いてオガタセイト様のユーザー登録を行います。

 スターターキットに同梱された一一桁のパーソナルIDをお答えください』



そう言われ、星登は先ほどガイノイドを届けた配達員から手渡されたスターターキットを手に取った。

中を探ってみると、保証書や自賠責保険契約書の控え、機器検査証明書の他、

各種マニュアルがぎっしりと詰められている。

それらを指先で一枚一枚めくると、パーソナルID登録証と書かれた紙が出てきた。

そこにはIDとガイノイドの型番、シリアルナンバーなども記載されている。



「パーソナルIDは、1FC-7B1B-33D5」

『パーソナルIDを、1FC-7B1B-33D5として登録します。

 よろしいでしょうか?』

「はい」

『パーソナルID及びユーザー登録を行います。・・・・・・ユーザー登録は完了しました。初音ミクを起動します。そのまましばらくお待ちください・・・』



それきり、マネージメント装置は僅かな駆動音を残したまま、

LEDを点滅させるだけで沈黙してしまった。



いよいよだ。

星登はもう一度生唾を飲み込む。

高まる期待と曖昧な不安を胸に意識しながら、少女が目を開くのを待ち続けた。



ガイノイドの少女との生活。

それは星登にとって、この一年間ずっと耐え続け、悩み続け、心を苛み続けて、

ようやく辿り着いたひとつの答えであり、逃げ道だった。



そう、これは逃げ道なのだ。

途方もなく悲しくて辛い、残酷なまでの「現実」からの、逃げ道。



皆は僕のことをどう思うだろうか。

ガイノイドに心の拠り所を見いだそうとする、つまらぬ男。

現実から目を背け、逃げ続ける弱い人間。



しかし、と星登は思う。

僕にとって、少なくとも今の自分にとって、

目の前で瞼を閉じて佇み続ける少女の笑顔と声が、何よりも必要であり、

最も欲するものだった。



理由などそれで充分だ。

「僕が」必要だと思った。「僕が」欲しいと思った。後ろめたいことなど、何もない。

程なくしてマネージメント装置から駆動音が止み、

緑色のLEDランプを点灯させるままとなった。

代わりに、規則正しい通風音が聞こえてくる。

マネージメント装置のファンがまだ回り続けているのかとも思ったが、それは違った。



呼吸である。

少女は静かに、だが確かに、星登の目の前で、呼吸をしていた。

そして一度大きく空気を吸い込む気配を感じ、ゆっくりと瞼が開かれる。

大きな瞳はエメラルドグリーンに染められ、星登は己の姿を少女の瞳の中に見た。



・・・・・・吸い込まれそうだ。

それは星登が抱いた、嘘偽らざる想いのひとつ。

ふっ、と少女の瞳が細められ、そこでようやく星登は我に返った。



「初めまして、マスター」



鈴蘭のように軽やかな声が、星登の耳朶を心地よくくすぐる。



「私、初音ミクと言います。どうぞよろしくお願いします!」



ぺこり、とお辞儀をする少女。

再び顔を上げたとき、その表情には、満面の笑顔が浮かべられていた。

まるで疑うことを知らぬ聖女のような、その笑顔。

信頼と親愛、友愛に満ちた、弾けるような、その笑顔。

慈愛、仁慈、情愛、愛隣。

少女の笑顔が、星登の心に染み入ってくる。

この1年間、ずっとずっと待ち焦がれ続けたその笑顔が、星登の心を温み癒す。



「・・・・・・う、」



ぼやけていく星登の視界。

待ち続けた笑顔。

ずっとずっと、もう一度だけ見たいと望み続けた、その笑顔。

その笑顔が自分に向けられていることが。

自分を見据え、自分を「緒方星登」と認識して微笑んでくれているという事実が。

たまらなく、嬉しかった。



だから。



「・・・ああ、あああああ・・・・・・」



ポロポロとこぼれ落ちるこの涙は、悲哀や寂寥の涙ではなく。



「うわああああああああ・・・・・・」



己の存在を認識してくれる少女への、感謝と歓喜の涙だった。



「え、え、ええ!? ど、どうしたんですか?」



あたふたと戸惑う少女。

先ほどまでの笑顔は消え去り、その表情には困惑だけが示されている。



「あの、その、ご、ごめんなさい!・・・・・・私なにか粗相をしてしまったんでしょうか?」



戸惑いを隠すこともできぬまま、しかし少女は服の裾をつまんで、

星登の涙を拭おうとしてくれていた。



少女の指が彼の頬に触れる。

柔らかく、温かく、か細く、しかし優しさを湛えた指先が、星登の頬にそっと触れる。

ただ零れるままに任せていた涙を、新品のおろしたての服で拭ってくれる少女。

初対面の、それもアンドロイドの少女に涙を拭われることに、

どこかこそばゆい恥ずかしさを感じる。

しかしその手を払いのけるには、彼女の手は余りにも温かった。

温かくて、柔らかくて、心地よい。

できればそのまま頬を包んで欲しいと思うくらいに。



涙はいつしか止まり、少女の手も頬を離れた。



「・・・ごめんね、取り乱してしまって。・・・もう、大丈夫だから」



はい、と柔らかく微笑む少女。愛想や同情ではない、ただ慈しみに満ちた微笑み。



「改めて自己紹介、しようか」



照れ隠しにひとつ咳払いして、星登は続ける。



「僕の名前は緒方星登。よろしくね」



こちらこそ、と少女。



「私の名前は、初音ミクと言います。今後ともよろしくお願いします、マスター」



そしてまたぺこりとお辞儀。



「それ、なんだけどさ」



言いにくそうに、頭をかきながら言葉を続ける星登。



「さっきも僕のことをそう呼んでくれたけどさ、

 できれば別の呼び方にしてくれないかい?

 その・・・マスターって呼ばれるのは、どうも慣れていないというか、

 どこか違和感を感じるというか・・・・・・」



はあ、とキョトンとした表情を向ける少女。



「だから、さ。何か別の呼び方にしてほしいんだ。

 マスターってのは、ちょっと、ね・・・」



ハハ、と曖昧な笑いを吐き出す。

少女はしばし考えて、



「それでは、星登さん、とお呼びしても良いですか?」

「うん、そっちの方がしっくり来るな。その呼び方でお願いできるかい?」

「はい! これからもよろしくお願いしますね、星登さん」

「ああ、こちらこそよろしく、その・・・・・・ミ、ク」



何となく気恥ずかしさを隠しきれない星登の呼びかけに、はい、と元気よく返事する少女。

クリプトン・フューチャー・メディア株式会社イノベーティブテクノロジー開発部が生んだ最新型介護用アンドロイド、製品名「初音ミク」。

正徳一九年八月三一日、この日全国に出荷された約三百体の「初音ミク」のうち、一体のミクはこうして起動された。





正徳一九年(二〇〇七年)八月三一日(金) 夜へ





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